分水嶺トレイル2019を終えて〜大会編〜
Hey guys!!
怒涛の更新ラッシュと言っておきながらだいぶ間があいてしまいましたFUCK!!
そしてタイトルは終わった直後みたいな雰囲気ですが、もう分水嶺トレイル2019が終わってから半年も経っております。その為いささか記憶にバグが生じている可能性もありますが、ごめんあそばどーも僕です。
怒涛のブログ更新ラッシュ2020第2弾は、東京の青梅から山梨の清里まで、日本の中央分水嶺を縦走する「分水嶺トレイル」の話。
前編はレースのこと、後編は装備やその他諸々の話をだらだらと綴っていきますYeah!!
山に興味がない人にとってはクソほどつまらない記事になるのでYouTubeでキングヌーの白目でも見ててください。白日。
さて、「分水嶺トレイル」はいわゆるトレイルランニングレースではなく、テントやロープ、地図、コンパスなどを持って自分の力のみでゴールを目指す山岳縦走イベント。
そこそこやばいレースのため、エントリーは書類選考があります。
120kmのコースと80kmのコースがあり、僕は120kmの方にエントリーして無事合格。
累積標高は12,000m。
コースマーキングやエイドステーションなどは一切なく、途中の山小屋でのみお金を支払って飲食物を補給することが認められています。
僕はそれじゃつまらないので無補給スタイルで食べ物は全て最初から自分で背負っていき、水だけを途中で補給していきました。
残念ながら大会中はほぼ雨が降っており、写真がほとんどないことをご了承くださいWaoh!!
雑なコース表。チェックポイントは通らなければいけない。充電63%。
スタートは金曜の夜12時。
当然僕は金曜1日仕事をしてそのまま青梅駅へ。
制限時間63時間の長い旅が始まります。
スタート直後は林道のようなところをひたすら走る走る俺たち、流れる汗もそのままに。
そんな爆風スランプな状況ですが、僕の脳内BGMはなぜかElliott YaminのWait for youがエンドレス。超しっとり系。
この辺りはまだ走れるところが多く、深夜1時を回っているというのに全身から汗が吹き出ます。ブワッ。
初日の朝ぐらいまでは雨もほとんど降っていなかったのですが、お昼前ぐらいから本格的に降り出した雨はその後もほぼ降りっぱなし。
10回目の開催となった分水嶺トレイルの歴史の中で、3日間雨が降り続けたのはこの年が初めてだったそうです。ラッキーじゃん?
最初の大きな山である雲取山までとにかく長く感じ、若干呪いの言葉を口ずさみながらも問題なく進んでいきました。
問題が出てきたのは将監小屋から雁峠のあたり(確か)。
眠気メーターがMAX振り切ってて、ついに幻覚・幻聴を初体験。
倒れた木の切り株?は全て人がしゃがんでいるように見え、常に熊鈴の音が聞こえるメダパニ状態。
挙句の果てには岩に付いている白い苔?みたいな模様が、コックコートを着た陳建一に見え、「今は中華の気分じゃねぇんだってばよ」と陳建一(岩)に向かってナルト風のツッコミを入れていました。
歩いていても10m進んでは立ったまま意識を失い、ほんの数秒の寝落ちの間に夢をみてはまた10m歩いて…の繰り返し。
天気がよければその辺に倒れ込んで仮眠を取ることもできたのでしょうが、本降りの雨の中では横になったり座ることもできず。
にも関わらず、思考能力が完全に猿以下になっていた為、細い倒木の下に潜り込んで寝ようとする始末。
当然そんなところじゃ雨も凌げないし寝ることもできないし、後ろから人が来れば死体だと思われるのですぐに起き上がりまたゾンビ化。
そんなやばい状態でしたが、これまでも暴風雨のアルプスを奇声をあげながらハイクしたり、標高4,000m以上の場所で何度も一人キャンプをしたりという経験もあり、リタイヤは一度も考えませんでした。
ちなみにこの年は過去最低の完走率だったようです。
そんなバイオハザード的な時間帯も何とか乗り越え、舞台は後半へ。
本来ならここから山の登り下りが大きくなるので辛いところなのかもしれませんが、僕は甲武信ヶ岳や金峰山など、景色がどんどん変わっていく山をひたすらに楽しむことができました。
終盤には道が地図に載っていない場所を、地形図とコンパスでクリアしなければいけない区間もありましたが、アドベンチャー感覚でそこも楽しく突破。
途中笑っちゃうぐらい急な崖みたいな箇所があって、実際笑っちゃいましたけど。草。
2日目の夜は金峰山の富士見平小屋で2時間弱の仮眠をとり、ラストスパート。
もうこの辺りにくるとゴールを確信し、残りの距離を早く消化した思いでぶっ飛ばしまくってました。
おかげでゴール数km手前で見事にロストしましたけど。草。
ゴールでは大会側から、コーラかビールどちらか1本プレゼントがあり、迷わずビールを選択しその場で一気飲み。てかどっちもくれよと思いましたが、水以外無補給でここまでやってきた僕にとってはこのビールがドンペリぐらい美味かったです。ドンペリ飲んだことないけど。
ゴール後は清里駅から電車を乗り継いで甲府駅まで帰り、今回の旅は幕を閉じました。
また出たいかと言われれば別に出たくはありませんが、実はこの分水嶺トレイルは個人の部とチームの部があり、チームの部で80kmのコースを途中補給しまくりで行くんだったらまた出てみたいかなと。
そしたらまた違ったものも見えるだろうし、天気も今回よりはきっと良いはずだし。
てな訳で分水嶺トレイルチーム80kmに出たいけどメンバーが揃っていないという方がいたら、お誘いお待ちしてます。
次回は今回僕が使用したSpecialなザックのことや、僕の考え方について。
多分すぐに更新するはず!
それではまた!
See you soon!!
阿蘇のおもひでぽろぽろ
Hey guys!!
ばちクソに久し振りのブログ更新となってしまいましたが、書きたいネタはたくさんたまっておりまして、新年早々怒涛の更新ラッシュをぶっ込みたどーも僕です。
まずは2019年5月に参加した「ASO ROUND TRAIL」のこと。
ASO ROUND TRAILは熊本で開催されるトレイルランニングレースで、今回僕は120kmのカテゴリーに参加しました。
このレースは下の写真のような絶景を走れる大会として有名で、噴煙をモクモクあげている阿蘇山を囲む外輪山を走るウルトラトレイル。
東京に住む友人と3人で参加したのですが、普段一人でレースに参加することがほとんどの僕にとっては、男3人の阿蘇旅はかなり新鮮でダイヤモンドユカイなTrail Tripとなりました。
見てくださいこの絶景。人がゴミのようですね。
レース自体も楽しめたのですが、何より阿蘇という土地がめちゃくちゃ良いところで、何年か後にまた必ず再訪すると思い阿蘇。
おっと、あまりの良さに語尾が阿蘇になっちゃいました蘇。
レース前にくまモンダンス。MCをしていた熊本のお天気お姉さん(栗めぐさん、写真左)もロング完走!
さてレースですが、実は大会の10日前にギックリ腰で入社したての会社を3日休むという非常事態に。
それまで調子が上向きだったこともあり、これは精神的にも東京ドーム6個分のダメージでした。
レース本番では調整不足が見事に表れ、後半はエイドの度に長時間ストップせざるをえないようなひどいコンディショナー、いや違う、コンディションでしたが、なんとか29時間かけてゴールテープを切ることができました。
途中、走っている最中にソフトフラスクの飲み口の部分に牛のウン◯が付いているという奇跡的なハプニン◯がありましたが、なんとかギ◯ギリでウン◯は飲まずに済みま◯◯。
エイドでザックを下ろしてフラスクに補給しようとしたらこれ。
コースとしては前半は美しい牧草地を楽しみながら、意外と走れるところが多く、ここで足を使いすぎると後半でTHE ENDします。
後半は夜になり、景色の見えない山と森の中を、急なアップダウンを繰り返しながら進むので、肉体的・精神的にもかなりきついです。
ウルトラトレイルが初めての人にとってはこのコースは厳しいものになるでしょう。
走ってないのにTHE ENDしてるアクタさん。
あ、ちなみにこのレース、景色は良いのですが色々ツッコミどころがあります。
例えばコースマーキング。
山の中でコースマーキングが少ない大会は他にもありますし、日本の大会は少々過保護なぐらいマーキングがしっかり付いているな〜と思う部分もありますが、この大会は山力を試すとかそんなレベルではなく、普通にロードの分岐でマーキングがなかったりします。
なのでロストする選手や、後続の選手を待って道を確認する選手もちらほら。
聞けば以前からこの大会はそのスタイルらしいのですが、これは今後も改善されないのか気になるところです。
さらにエイド。
これもOSJシリーズに比べればマシな方ではあるんですが、やはり他のウルトラトレイルレースと比較してしまうと、エイドの飲食物に気合が足りないことは参加された方ならわかるでしょう。
あとは大会に付随したイベント。
他のビッグレースでは前夜祭もしくは後夜祭があったり、前日にちょっとしたパーティーやマルシェがあったりするのですが、阿蘇では前日受付時にちょっとしたスポンサーの出店と、スタート前のくまモンダンスが見れたぐらいで、他のランナーとの交流だったり地域のおもてなし的なものは⁂$‰▱⌘でした。
被災地の復興という意味合いも含んだ大会だからこそ、もっとサポートや応援で来ている人たちにも楽しんでもらえるような工夫をしたらいいのになぁと思★♂ゞ§℃。
改善の余地はありますが、トータルではとても良い大会だったのでまた何年後かに生きていれば参加したいと思います。
さて冒頭でも書いた通り、この時は友人3人との観光旅行も兼ねていたので、レース前後は未だ復興中の阿蘇に金をばらまいて来ました。をレンタカーで徘徊して来ました。
友人の応援に来ていたご両親にご馳走になった赤牛丼、と写ってないけど焼肉。
肉とアイス。
肉と温泉とアイスというレースの後のゴールデントリオも堪能し、「また帰ってくるよ。」と漫画のようなセリフを言ったり言わなかったりして阿蘇の旅を締めくくりました。
あ、最後にどうでもいいことを一つ。
レンタカーで初日の晩御飯をどこで食べようかとウロウロしていた時の出来事。
横断歩道を渡りたそうな女子中学生2人組がいたので、当然ストップ。
ペコっと頭を下げて道路を渡る中学生。
そして僕らの車が発進しようとした時、道路を渡り終えた中学生が振り返って再び僕らに深々と一礼。
なんかその姿に感動してしまってその感動を友人2人に伝えると「そう?」と淡白な返事が返ってきて「えっ」となった僕。
それでも「結婚するなら九州の子だな」とその時だけ心に決めました。
でもなんか、世界中のみんながそんなちょっとのことを当たり前に出来るようになったら世界は平和になるのになと思うのは僕だけですかね?
さて次回は初体験の連続となった分水嶺トレイルの話。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜アルゼンチン編②(パタゴニア編)〜
Hey guys!!
今Japanは桜シーズンど真ん中。
連日暖かい日が続き、いたるところで満開の桜が目に入る一方、花粉シーズンど真ん中でもあります。
僕の家族は全員花粉症ですが、唯一僕だけが花粉症ではありません。ラッキー。
最近少し鼻水が出ますが花粉症ではありません。
若干目もかゆい気がしますが花粉症ではありまどーも僕です。
さて前回から引き続きパタゴニア編でありますが、今回はアルゼンチン側のパタゴニア。
パイネサーキットハイキングやカヤックを堪能したあと、チリのプエルトナタレスからバスでアルゼンチンのエル・カラファテへ。
エル・カラファテではペリトモレノ氷河へツアーへ行く観光客が多いのですが、僕はトレイルは好きだけど氷河の上を歩くことには全く興味がなかったのと、氷河トレッキングツアーがクッソ高いと聞いていたので、自分でバスに乗りペリトモレノ氷河へ行くことにしました。
他の旅人のブログとかSNSを見ると、みんなここでかなり感動しているようでしたが、僕は正直微妙でした。
人多いし入場料高いし、体験するというよりは見学するというタイプの観光地。
まぁ人それぞれ価値観が違うからね。
僕にとってはここの氷河より、パイネサーキットを歩いている時に山の上から見下ろした「グレイ氷河」の方がエモかったです。
というわけで早々にエル・カラファテを後にし、次に向かったのはこの旅の最後の街、エル・チャルテン。
エル・チャルテンと聞いてピーンときた方やツーンときた方、あるいはジョッスィ〜ときた方もいるかもしれません。
そう、エル・チャルテンといえば何を隠そう、あのフィッツロイへの拠点となる街なのであります。
まぁアウトドアに関心がない人にとっては、「あのフィッツロイってどのフィッツロイだよ」って感じだと思いますが、アウトドアブランド「patagonia」のロゴマークの山、と言えば「あ〜」となる方もいるかもしれません。
あちなみに上の写真のでかい山がフィッツロイですが、ここは世界中からクライマーが集まる場所でもあるんですね。
そうです、クライマーはフィッツロイをガシガシとよじ登って行くわけです。
頭おかしいですよね。僕は頭おかしいと思います。
写真奥に見える崖を登っているクライマーもいた。
エル・チャルテンは物価の高いパタゴニアの中でも特に物価が高いところなので、持ち込める食材はチリのプエルトナタレスや、品揃えの良いエル・カラファテで調達してありました。
小さな街ということもあり、大してやることもないので、本来なら1泊2日でいけるフィッツロイ周辺のトレッキングコースを、3日間かけて歩くことにしました。
ここは入山料かからないしキャンプサイトも無料だし、街のキャンプサイトは高いし。
というわけで初日はフィッツロイの麓、ポインセノットキャンプ場へ。
今までも再三書いている通り、僕は景色だけでなく、トレイルを歩くこと自体に喜びを感じる人なのですが、ここのトレイルは素晴らしかった!
フィッツロイに行った人は大体フィッツロイを見た感想とか写真しか載せないけど、僕はこのトレイルを歩けただけで来た甲斐があったなと思うぐらい良いトレイルでした。
ポインセノットからフィッツロイの朝焼けを見る展望ポイントまでは約1時間。
翌朝5時に起き、極寒の中そのポイントへと登って行きました。
残念ながら朝焼けのフィッツロイ全てがくっきりと姿を表すことはありませんでしたが、真っ赤に染まる岩壁を間近に見ることができました。
それにしてもパタゴニアは標高がそれほど高くないにも関わらず、風が凄まじいので体感温度が低い!
前夜テントで寝ている時も、ペルーで標高4,600mキャンプをした時ぐらい寒かったです。
朝焼けフィッツロイを堪能した後は、翌日のキャンプサイト、デアゴスティーニへ。
デアゴスティーニはラグーナトーレという氷河湖のすぐ近くにあるキャンプ場なのですが、ネットで調べる限りほとんど95%以上の日本人観光客はフィッツロイを見たあと、来た道をそのまま引き返していて、このラグーナトーレには行ってないんですよね。
でもね、悪いけどね、はっきり言ってラグーナトーレからエルチャルテンに帰るトレイル、最高。
マジで最高。
なんでみんなこのルートを歩かないのか不思議なぐらい最高の景色とトレイルでした。
まぁ一般的な日本人観光客は、街で急遽テントやシュラフをレンタルしてフィッツロイを見に行くような人がほとんどだから、そういう人たちにとっては2泊3日もシャワーも浴びれず歩き続けるということが苦痛としか思えないんでしょうね。
同じことをやっていてもかたや苦痛、かたや最上級の喜び。
「その道における一定水準以上の知識や技能を持ち合わせていることで、かくも楽しみ方に違いが出るものかな。」by 世阿弥(ウソです。)
そしてあっという間の3日間ハイキングを終え、エルチャルテンで最高に美味いビールを流し込み、贅沢品のアイスを食べ、近ずく旅のフィナーレをしみじみと感じました。
エルチャルテンの土産物屋でなぜか売っていた甲賀手裏剣。
街へ戻った翌日、最後のイベントとして街から3km離れた場所にある滝を見に行ったのですが、滝壺付近で川に足を入れ、川の冷たさを感じていたら…
ビーサンが川に流されました。
フィナーレでなにやっとんねん。
街へと帰る3kmの砂利道は地獄でした。
アメリカ以来、唯一自分に買ったお土産、パタゴニアの写真とパタゴニアスイーツのレシピが1冊にまとまった素敵な本。
細かく言えばこのあとプンタアレナスや、サンティアゴでも数日滞在して小さな出来事はあったのですが、とりあえずこれで8ヶ月の及んだ僕の旅は終わりを迎えました。
平和な日本で電車に揺られ、駅のホームで立ち食いそばをすすり、家に着けばもうすでに旅に出る前と同じ日常。
今はもう、狂犬病を持った犬が牙をむき出しながら追いかけてくることもなく、強盗に襲われる心配もなく、安心して街を走れる幸せを噛み締めています。
旅の思い出も少しずつ記憶の中の色が薄れ、次なる目標へと進み続けています。
「形あるものは壊れるか無くなる 形ないものは忘れる」
人間は忘れる生き物です。
だから忘れないように形に残すのですが、それもいつかは無くなる時がくるかもしれません。
ならば無くなることを心配するのではなく、過去のどんな思い出よりも素晴らしい経験を積み重ねていけるよう、様々なことに挑戦し続けていきたいと思います。
そして忘れた頃にまた新鮮な気持ちで旅に出ればいい。
今回の旅は一つの区切りを迎えましたが、人生という旅はまだまだ続いていきます。
Life is a journey, and it goes on.
はい、なんかブログまで終わりっぽい雰囲気醸し出してますが、「旅ブログ」が一区切りついただけなので、僕のブログは今後も続きます。
とりあえず忘れないうちに、次回は壱岐島&博多のことでも書こうかと。
それではまた!
See you later!!
旅ブログ〜チリ編⑥(パタゴニア編)〜
Hey guys!!
旅から戻って伊豆、博多、壱岐、千葉、東京と、あちこちに出没!アド街ックどーも僕です。3月最後の土日は長野、翌週は山梨にアド街ックです。
さて今回は長かったチリ編最後の回。
前回の最後にも書いた通り、僕はパタゴニアに行ったら絶対にカヤックを漕ぎたい!と以前から思っていました。
その理由は幾つかありますが、まずは単純にカヤックが好きということ、そして他の日本人の旅人がやらないようなことをやりたかったこと、そして、patagoniaの創業者イヴォン・シュイナードがかつてパタゴニアの地でカヤック旅をし、この地から大いなるインスピレーションを受けたと言う話を聞いたことがあること。
僕は普段特にブランドにこだわらず、自分に合う様々なギアを購入しますが、やっぱりpatagoniaとかTHE NORTH FACEの経営理念だったりものづくりの姿勢は好きなわけです。
それに関係して今回のブログの最後には、最近アメリカで起きている重大な動きについて少し触れたいと思います。
パイネ国立公園で最も人気がある景色と言ってもいいLos Cuernos。移動中の車の中から。
今回のカヤックツアーガイドはイギリス人のウィルとフランス人のジェレミー。
ウィルはガチのExplorerで、世界中いろんな山を登攀したり、このツアーの数日前にも一人で雪山縦走をしてきたと言っていた。
ジェレミーはウィルに比べるとお調子もの的なキャラで、ツアー中に僕を他の客から引き離して無理やり急流ゾーンに引きずりこんだりしていた。
氷河から崩れ落ち漂流している氷塊に接近。
この時のツアーはたまたま参加者全員が中級者以上。
前半はかなり風があったが、誰も手こずることなくやすやすと氷塊に接近し、各々写真を撮っていた。
そのため、本来ゴール地点だった場所を大きく変更し、この日はなんと30kmも漕いだ。
後半は川の流れに乗っていたとはいえ、観光客向けのカヤックツアーで30kmなんてちょっと日本では考えられないぐらいの長さだ。
川沿いでランチタイム。絶景なり。
この景色を見ながらのカヤックは、ヤバい!!地味に橋の上を馬が歩いている。
正直予想していたよりけっこう長かったし、体力的にもなかなか疲れたけど、やっぱりパタゴニアでのカヤックは格別だった。
チャンスがあればアドベンチャーレースも出てみたいなぁ。
ツアー終了後のご褒美ビール。もちろんツアー代金に含まれる。これも日本では、ないよなぁ。
これは街に戻ってから一人で飲んだご褒美ビール。パタゴニアはワインもビールも美味い!
サーモンのセビーチェ。と、チリのスーパーでよく見る「120」と書いてあるワイン。セビーチェと合いすぎ。
そうそう、パタゴニアではビールもワインもよく飲みましたが、同じ「パタゴニア」でもチリ側とアルゼンチン側で売っているものが全然違くて少し驚きました。
まぁ当然といえば当然かもしれないけど、これまでの南米の国では割と近隣の国と同じものも売っていたような…。
上の写真の「120ワイン」も、とても美味しく(しかも安い!)気に入っていたのですが、アルゼンチン側のエル・カラファテとエル・チャルテンでは一切手に入らなくなりました。
もちろん他のワインは売っているのですが、個人的にはチリの方がワインは美味しかった気がします。安いし。
さてそれでは、冒頭でも書いたとおり、今回は今アメリカで起きている重大な出来事について触れたいと思います。
旅行好きな人、アウトドアが好きな人、自然環境が好きな人、アメリカが好きな人には大いに関係のあることです。
アメリカにはグランドキャニオンやヨセミテ、イエローストーンなど、世界的に超有名かつ歴史的・文化的に貴重な国立公園や国定公園が多く存在していることは、皆さんもご存知かと思います。
トランプ大統領は就任直後から全米の国定公園の見直しを指示し、昨年12月には「歴史的な措置」として、ベアーズ・イヤーズを含む2つの公園を大幅に縮小する方針を決めました。
トランプ氏は他にも30カ所前後の国定公園の見直しを明言しています。
要は、「資源開発の邪魔になるから、保護してる地域の保護を一部、あるいは全部、解除しちゃうよ」ってことです。
これに対し、THE NORTH FACEやREI、カナダのアークテリクスなどのアウトドア用品関連企業、先住民族、自然保護団体などが猛反発しました。
中でも特に舌ぽう鋭くトランプ政権を批判しているのが、あのpatagoniaです。
patagoniaはこれまでも先陣を切ってトランプ政権の方針に反対してきましたが、昨年12月には、国定公園の縮小取り消しを求める訴訟も起こしています。
patagoniaのホームページに掲載された、「大統領はあなたの土地を盗んだ」のメッセージ。
また、縮小まではいかなくとも、「国立公園の入場料を上げ、レンジャーを解雇し、資源開発の予算に当てる」と言う非常に残念な方針を打ち出しました。
実際に今年度から、ヨセミテやイエローストーン、グランドキャニオンなど、特に人気の高い国立公園の入場料が30ドル→70ドル(自動車1台の場合)まで引き上げられます。
グランドキャニオン国立公園。
もう一度言いますよ。
入場料が、現行の30ドルから、70ドルに引き上げられます。
70ドルですよ!?
倍以上ですよ!?
もちろん資源開発による利益は大きなものなんでしょうが、こんなこと続けてたらアメリカの重要産業でもある観光収入がどんどん減っていくような気がするんですけどねぇ。
では僕がこの問題に対して何ができるか。
それはpatagoniaをはじめとする、環境保護「活動」を具体的に行っている企業を応援すること。つまり投資、と言っても株を買うお金はないので、商品を買うことで投資すること。
消費は投資。モノを買うということはその企業に1票入れるということ。
今は便利な世の中になって、某フリマアプリや某オークションサイトで、消費者と消費者が販売企業を挟まずにモノを売り買いできる時代で、実際僕も使っていますが、「自分がどの会社の何を(もっと言えば、いつ)買うか」という意識はこれからも忘れないようにしたいと思います。
できることは少ないかもだけど、できることはしたいよねー。
さて次回はついに!
ついに長かった旅ブログシリーズもいよいよラスト!
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜チリ編⑤(パタゴニア編)〜
Hey guys!!
先日、福岡・長崎に行ってきました。つーか博多と壱岐島だけだけど。
中南米で20時間以上のバス移動がザラにあったため、日本の快適なバスで15時間ぐらい超余裕、と思って今回も夜行バスで行ったのですが…
思ったより快適じゃなかったぁー!どーも僕です。
中南米では長距離バス文化が発達しているせいか、あるいは日本人が向こうの人よりスリムだからか、座席は中南米のそれよりも狭く、リクライニングも飛行機よりは倒れるけど…ってぐらいのレベルしか倒れず、それでいて料金は中南米の倍以上するんだからやってらんないっすよね。
はい、パタゴニア編2回目、パイネサーキットハイキングの続きです。
先日あしラボの小野寺先生に「後ろ足が残りすぎてる」と注意されたフォーム。
4日目まで強風に煽られながらも毎日山にかかる虹を見ながらの絶景ハイキング。
天気は上々。気分も上々。人生は上々だ。
パイネサーキットでもっともハードな峠越えのあるこの日は、なんと途中トレイルにテントが落ちているのを発見。
テントと言ってももちろん収納してあるやつですけどね。
トレイルのど真ん中に落ちていたので、間違いなく誰かが落として気づかずに行ってしまったと判断し、約1kgのテントを手に、持ち主に出会うまで持ち運ぶことに笑
その後5組以上のハイカーを追い越したけど、みんな自分のものではないと言う。
てかみんな落ちてるの見て見ぬフリしてきたのね。
そしてようやく持ち主と出会うことができ無事にテントを渡しました。
持ち主は「Unbelievable!!」って言ってたけど、テント落とすって不用心すぎるだろ。
この森の中のトレイルでテントを発見。奥に見える峠を越す直前まで手に持ったまま歩いた。
いたるところで名前もついていない氷河が見られる。
ハードな峠越えと言っても日本のアルプスのような急峻な山に慣れている人なら楽勝レベル。
ナショナルパークのゲートでもらう地図ではかなり大げさに高低図が描かれていますが…。
ところでパイネ国立公園で有名な景色は、3本の巨大な石柱のような山がそびえるTorres del Paineと、パイネサーキットの中心部の山をまとめて全部見たような景色のLos Cuernosですが、実は僕の中で一番エモかったのはこの日のPaso峠を越えた瞬間。
写真では伝わりにくいけど、目の前に岩ばかり見えていた急登を登って行くと、だんだんと向こうに見えてくる雪山、と、虹、と、巨大な氷河。
「なんだ、ただの天国か」と思いましたです。
エモい。この時は目の前の景色が全て輝きを放っていた。
下の白い部分は全て超広大な氷河。個人的には有名なペリトモレノ氷河よりこちらの方が全然良い。
氷河が崩れて水に落ちると綺麗な青色に変わる。なぜだかは知らない。
しばらくはこの巨大な氷河沿いに歩いて行きました。
実はこの旅の間ずーっと隠し持っていた「防寒テムレス」がついにここで日の目を見ました。
あ、テムレスとは作業用の防水グローブで、ホームセンターとかで1,000円以下で買えるのですが、そのコスパの良さにアウトドアスポーツで使用する人も少なくないです。
その後は次のキャンプサイトまでずーっと雨が降り続け、パイネハイキングをスタートしてから初めて特にテンションの上がらない、我慢の時間帯が続きましたが、キャンプサイトに着いた時には少しの間だけ晴れてくれました。
ちなみにこの雨でiPhoneが少し濡れ、ホームボタンが一切きかなくなりました。
コロンビアで強盗に遭った後すぐに買ったpatagoniaのレインジャケットが、どうやらMade in Chinaの粗悪品(てか偽物?)だったらしく、防水のはずのポケットまで水が染み込んでいてそのせいでiPhoneが…。
日本に帰ってきてからホームボタンだけ交換してもらい、今は完璧に治っています。
ペルーより標高は低いが、山が近いのでデカく見える。
パイネらしい白と黒のコントラスト。1時間ぐらいだけ雲が晴れてくれた。
キャンプサイトから展望ポイントへ。この後吹雪きだしたので、そそくさとテントまで撤退。
パイネサーキットのハイキング中は、とても美しい湖の湖畔を何度も歩いたのですが、とにかく風が強く、海のように波立っていて、時にはしぶきが横から吹き付けてくることも。
波打ち際がルートになっているところもあって、そんなわけないだろうと思い若干ロストした。
そしてパイネサーキットハイクの最終日前日、スタート地点からほど近いLos Torresキャンプサイトへ到着。
ここはWルートやTorres del Paineだけ行く人の拠点にもなっているので、キャンプスペースも広く、近くにはシャワー、洗濯場、売店、ホテルまである!
クッソ高いけどこれは我慢できんかった。あとポテチも。
最終日はプエルトナタレスまで戻るバスの時間があったので、それまでに帰ってこれるよう荷物はキャンプサイトへ預け、トレイルランニングでラスボスのTorres del Paineへ!
思いのほか走れるパートが多く、「パタゴニアでトレイルランニングをしている!」と思うだけでニヤけっぱなしでした。
多分周りの人から見たら、この時の僕はすっごく楽しそうに見えたか、気持ち悪い東洋人に見えたかのどちらかでしょう。
途中日本人ツアーのおじさまおばさまたちグループなんかとも遭遇しながら、最後のガレ場を登りきると有名なアレが目の前に姿を現しました。
アレに立ち向かう東洋人、の図。
若干ガスってて全てはっきりとは見えませんでしたが、一応有名なアレが見れたので良かったです。めちゃくちゃ寒かったけど。
下山時も超気持ちよく走って帰りました。
そうして夢のような7日間(約120km)のハイキングが終わり、無事プエルトナタレスの街へ。
パイネではサーキットOのハイキングともう一つやりたかったことが…。
それはカヤック!
もともとカヤック好きな僕が、憧れのパタゴニアで、氷河を横目に見ながらカヤックを漕ぐ。
最高じゃないすかー!
最高じゃぁ、ないっすかぁぁぁ!!
というわけでカヤックをした話はまた次回。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜チリ編④(パタゴニア編)〜
Hey guys!!
久しぶりのブログ更新ですね。オリンピックでのメダルラッシュだったり東京マラソンでの日本人の活躍だったりと、スポーツ界での明るいニュースが多い中、僕の関心事はNTTが2020年から実用開始を目指している5Gどーも僕です。
フィリピン留学を合わせると10ヶ月も日本を離れていた僕でも知っている5Gですが、意外にまだ知らない人も多くびつくり(敢えてのびつくりね)しています。
5Gと5Gがもたらす未来についても書きたい事がたくさんあるのですが、それは旅ブログが終わってからゆっくり書く事にします。
今何かと話題の仮想通貨の事とかも書きたいんだけど、それもまた後で。
さてと。
いよいよ、ついに、やっと、とうとう…
パタゴニア編キタァァーーー!!ゼェ…ハァ…
まぁ興味ない人にとっては「パタゴニア?なにそれ、動物園かなんか?」ぐらいのもんでしょうがね。
もしくはアウトドアブランドのpatagoniaの名前ぐらいは知っている方も多いかもしれません。
これね。
とにかくアウトドア愛好家の私としては、ウユニ塩湖だとかマチュピチュ遺跡なんてどうでもいいぐらいにテンションのアガル場所なのであります。
パタゴニアに限らず、ヒマラヤとかアラスカとかって、名前を口にしただけで何かこう心がざわっとするものがあるんですよね、なぜか。
とはいえ興奮してばかりいても伝わらないので、そろそろ落ち着いて書いて参ります。
前回訪れたプコンという街から、一度夜行バスでサンティアゴまで戻り、着いた日にそのままプンタアレナス行きの飛行機へチェックイン。
チリ最南端の街プンタアレナスは、船や飛行機で南極へ向かう発着地としても有名です。
プンタアレナスはそこそこ大きめの街(ビルとかはない)ですが、この街自体にはこれといって見所もないので、1泊だけして早々にプエルトナタレスというパイネ国立公園の玄関口となる街へ移動しました。
プンタアレナスの街。風すごい。
プンタアレナスのバス停留所でまさかのスラムダンクが流れていた。
ところで「パタゴニア」とはチリとアルゼンチンにまたがる広大なエリアの地名で、その両国の下半分はほぼパタゴニアと言っても過言ではないと思います。
その中でも最も有名な場所が、チリ側のパイネ国立公園と、アルゼンチン側のフィッツロイ山でしょう。
特にフィッツロイはアウトドアブランド『patagonia』のロゴマークに使われている事でも有名です。さっきのアレです。
また、ここプエルトナタレスにはもう一つプチ有名なものがあり、それがこいつ。
ミロドン。
ミロドンというまぁいわばマンモス的な、かつてここに生息していた大型動物の化石が発見された場所であるという事です。
正直行って僕はこの街に来るまでミロドンの存在を全く知りませんでしたが。
山好き森好きトレイル好きの僕は、パイネ国立公園の核心部、1周約120kmのパイネサーキット("O"circuit、"O"trekなどとも呼ばれる)を歩くことをずっと夢見ていました。
「夢見ていた」なんて言葉は今までほとんど言ったこともないしできれば言いたくもないのですが、パタゴニアという日本からみれば地球のほぼ裏側に位置する場所で、自分一人で1週間キャンプ生活をするなど、一生のうちにそう何度も経験できることではありません。
加えてそれまでの約7ヶ月の旅の中で、街の宿でだらだらと時間を潰したり、観光客がうじゃうじゃいる場所に行ったりする自分に、正直嫌気がさしていたのも事実。
できることなら何日でも歩いていたいほどの素晴らしい景色の連続でしたが、パーミットやキャンプサイトの予約の関係で、今回はトータル7日間のハイキングとなりました。
ちなみに2017年度から、パイネのキャンプサイトがインターネットでの予約受付を開始し、当日予約無しでキャンプ場に行っても泊めさせてもらえないので、注意が必要。
予約は数ヶ月も前から埋まっていきます。
僕はこの情報をキューバで出会った日本人の男の子から入手していたので、グアテマラ滞在中に予約していました。
テントの貸し出しもあるのでテントを持たないで歩くことも可能。手前のが僕のやつ。
プエルトナタレスの街からバスに揺られること1時間半、パイネ国立公園の入り口で入園料を支払います。
他の乗客のほとんどは、もっと簡単で距離も短い"W"trekというコースか、もしくはさらに短い日程でTorres del Paineという有名な景色を見に行くので、ここからさらにバスで先へ。
僕は前述の通り、パイネを1周するコースなので、ここから歩き出しました。
虹を見ながらチケットの列に並ぶ。
意外にも、世界でも有数の人気トレッキングルートにも関わらず、僕の周りを歩いている人間が一人もいない。
しかもトレイルは細く、ところどころ消えかかっているような場所すらある。
最初の数キロは単調な平原を歩いていたが、ある時ふと左手を見ると、雪をかぶった雄々しい山々が眼前に現れ、その時初めて「あぁ、自分は今、パタゴニアにいるんだな」と実感した。
やばいでしょこれは。
これは少し不思議な感覚で、もちろんその前からパタゴニアと呼ばれるエリアには入っていたし、絶景の中を歩くのも初めてではなかったけど、「自分が景色を見ている」というよりも、自分が景色の一部になっているというか、自分と景色の境目がなくなって融和しているような感じ。
トレイル上では全く人と会わなかったけど、1日目のキャンプサイトに到着した時にはなかなかの人数がすでにテントを張っていた。
歩いている時からものすごい強風で、体を30度ぐらい倒さないと立っていられない時もあった。
でもなんか、強風の時ってテンション上がりません?
僕なんかアガリまくってめちゃくちゃ叫んでましたよ。
今回は久しぶりのロングトレイルということで、荷物の軽量化を図り食料は街で買ったドライフード(お湯を注げば出来上がり的なやつ。乾燥しているのでとても軽い)と、パン、クッキーなどを用意したが、思ったよりカロリーが摂れず、3日目ぐらいからは常にお腹が空いていた。
本来なら1日4000kcalぐらい摂らなきゃいけないんだけど、この時摂っていたのは1日あたりたったの1000〜1500kcal程度。そりゃ腹減るわ。
袋は日本の尾西。だけどー…
中身はパスタ。海外で売ってるドライフードは大体2人前なので、袋がでかすぎるのだ。
でも植村直己さんの本とか映画『MERU』とか見たら、クライマーの人たちは1日数十〜数百kcalしか摂れないこともあるみたいだし、1000kcalでも死にはしないと思ってましたけどね。
2日目のキャンプ地も素晴らしい場所で、寝床からこの景色。
キャンプ地の少し手前にはすぐそこに氷河が見える絶景ポイント。
そしてここから、公式の地図には載ってないけどGPSマップでは地形的に行けそうな場所があったので行ってみることに。
これがまた最高の景色!そして誰もいない!独り占め!!
そりゃこうなりますよね。
前半のフォレストトレイルを1、2度プチロストしながら進むと、ガレガレトレイルの先には氷河があり、少しだけ登れそうだったので、氷河の上をザリザリと登っていく。
砂礫のように見えるが、よく見ると…
氷の上にうっすらと石や砂利が覆いかぶさっているだけ。すなわち滑る。
もちろん軽アイゼンとか持ってないし。
しかもところどころにクレバス(深い割れ目)があり、にわかにビビりだす。
しかも1回近くで砂の下の氷が溶けて陥没したらしく、蟻地獄みたいに砂がゾゾォー!って飲み込まれていったのを目の当たりにしてさらにビビる。
いやマジこんなとこでクレバスなんか落ちたら100%生きて帰れないからね。
初日も2日目も虹を見ながらのトレッキングで、マジでここは天国なんじゃないかと思うほどの素晴らしいハイキングでした。
というわけでまだパイネサーキットは続きますが、長くなってきたので今回はここまで。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜チリ編③〜
Hey guys!!
昨年6月にアメリカから始まった、僕にとって初めての長期海外旅行ですが、先日しれっと8ヶ月ぶりに帰国しまどーも僕です。
帰国して初めて口にしたものは、駅のホームの立ち食いそば。
泣くかと思うぐらい美味かったばい。
つーわけでやっとパソコンでブログが書けるので超楽。
今までiPhone6で書いてましたからね。貧弱Wi-Fiで。
はい、プコン編です。
と、その前に、実はイースター島に行く前に、チリの首都サンティアゴでスペ語学校仲間のSのぶ姉さんと再会を果たしていたのでその話から。
アルゼンチンのメンドーサから、クリスマスの日にサンティアゴへ戻った僕は、街があまりにも閑散としてほとんどの店が閉まっていることに愕然としました。
聞けば海外では割と普通とのこと。
クリスマスはみんな仕事休んで家族でまったり、まぁ日本はキリスト教じゃないので別に見習う必要はないと思いますが、正月三が日、あるいは大晦日と元旦ぐらいこんな感じで休みましょうよと言いたい。そして言った。
翌日、どっかから(どこか忘れた)サンティアゴに来るというSのぶ姉さんと待ち合わせをし、サンティアゴのメルカドセントラルでちょっと豪勢なランチを食べることに。
これがねぇ、う、う、うん、うんめぇ〜のなんのって!
海外で魚が美味いなんてこれまでの旅ならあり得ないことだったので、勢いで白ワインのボトルを3本も空けてしまいました。
バリバリ関西弁のSのぶ姉さん。ワインの前にはもちろんビールも。
場違い感満載の髭野郎。
そして昼間から酔っ払って街を徘徊&噴水で遊ぶ始末。
そんなこんなでSのぶ姉さんと互いの健闘を、否、良き旅を願って別れたのでした。
それがイースターに行く前の話。
イースターからサンティアゴに戻った日、そのまま夜行バスでプコンへ。
イースターやサンティアゴが半袖短パンで過ごせるぐらい暑かったので、プコンへ早朝着いた途端に寒さにびっくり。
ダウンがいる程の寒さでした。
おしゃれリゾート、プコンの街。富士山みたいなビジャリカ火山。
この後プコン初日色々あったのですがそれはすっ飛ばして、翌日Mさる君(分からない人はボリビア編②のブログ参照)がプコンに来ると言うので連絡を取ろうとしたのですが、あいにくお互いWi-Fiが使えるタイミングが合わず、僕は一か八かでツーリストインフォメーションの近くのカフェでMさる君が通るのを待つことに。
すると、通った。さすが我ら。
再会後間もなく、僕がその日から行こうと思っていたトレイルトリップにMさる君も同行することに。
行程はプコンからバスでHuerqueque(ウェルケケ)国立公園へ。そして公園入口のすぐ近くにあるキャンプ場で一泊し、翌日トレッキング18km、目的地は天然温泉のあるキャンプ場で、そこに一泊した後同じ道を帰ってくるというもの。
キャンプ場は美しい湖のほとり。この森の中にテントサイトがある。気持ち良い。
これまでの経験上、ペルーの標高4,000m以上のトレイルですら楽勝で20km以上歩けていたので、今回も楽勝かと思っていたのですが、意外にこまめに連続するアップダウンと、時折見失うほどのか細いトレイルに思いの外苦戦しました。
でも途中の景色は最高だったけど。
素晴らしいフォレストトレイル。
チリの富士、ビジャリカ火山。
標高低い割になかなかのアップダウン。20kmも歩いてないのにかなりきつかった。
そして以前Facebookにも書いた通り、途中森の中でケータイを紛失するという悲劇が。
ケータイが無いことに気づいたとき、マジで焦りと悲しさと情けなさが一気に押し寄せてきましたが、大体落とした場所は検討がついていたので、翌日の帰り道で奇跡的に発見することに賭けて、この日は先に進みました。
正確にはその場所にすぐに戻ったのですがこの日は見つからず、また相当疲れていたため、早く目的のキャンプ場に行きたいという気持ちも少なからずあり。
そしてご存知の通り、翌日奇跡が起きたというね。雨が降らなくて本当に良かった…。
目的のキャンプ場に着いたとき、キャンプ場近くの山小屋にまさかのビールが売っていたときは2人で狂喜乱舞し、その場でソッコー飲みました。あれは美味かった〜。
そしてキャンプ場前に流れる川のすぐ横にはお目当ての露天風呂が!
うおぉぉぉっ!湯気が立っている・・・!
正直お湯の中は苔とか浮いててあまり綺麗ではありませんでしたが、そんなのどうでもいいぐらいに最高のロケーションと湯加減でした。
この川沿いにある最高の温泉写真を是非ブログに載せたかったので、Mさる君に後日写真を送ってもらったのですが、ぶっちゃけMさる君の写真の腕はイマイチで(ごめんMさる君)、川と温泉とキャンプ場の雰囲気が伝わるものがありませんでした笑
とはいえきついトレッキングの後に大自然の中で露天風呂に入ってキャンプをする、最高でした。
まぁもちろん翌日またきついトレッキングが待っていたわけですが。
無事プコンの街へ戻り、肉とビールに飢えていた2人は少し贅沢をしてガッツリステーキと地ビールで乾杯。
これも最高に美味かったです。
プコンのキャンプ場で一泊し、南米で多くの時間を共にしたMさる君ともここでお別れ。
次は日本での再会を約束しました。
僕はプコンにもう一泊したのですが、出発の日、夜発のバスまでだいぶ時間があったので、街をぶらついていると何やら街が賑わっていました。
この日は土曜日だったのですが、翌日はなんとIRONMAN70.3のプコン大会が開催される日だったようです。
アイアンマンを知らない人も多いと思いますが、まぁ要はトライアスロンの世界大会で、参加する選手のレベルも参加費も、一般的なレースとはケタ違い。
僕もいつかは出てみたいと密かに思うレースの一つです。
素晴らしい自然に囲まれた街に設営されたゴールや応援席を見ると、アスリートの血が久しぶりに騒いできました。
トライアスロンでもトレランでもいいから、早くまたレースで遊びたいなー。
左は(湖の)ビーチ、正面には山、ゴールの奥には表彰台。このシチュエーションは・・・、アガルッ!
さてさて、次回からはいよいよ旅の最終章、パタゴニアシリーズが始まります。
正直旅にも飽きてきたというか若干疲れてきたタイミングだったので、最もテンションの上がるパタゴニアを最後に持ってきて本当に良かったです。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜チリ編②(イースター島編)〜
Hey guys!!
チリ最南端の街プンタアレナス を通る主要道路の名前が「RUTA DEL FIN DEL MUNDO」日本語に訳すと「世界の終わり街道」すごくないですか?この名前。
「世界の終わり」というとどうしても村上春樹の、世界の終わりとハードボイルドワンどーも僕です。
タイトルをちゃんと言うと「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」です。
なぜかホワイトアスパラのくだりときゅうりのサンドイッチのくだりが印象に残っておる。
さてお気付きの方もいるかと思いますが、この旅ブログを始めて以来、初めてタイトルに国名以外を入れました。
というのも、僕のブログは別に情報系ブログでもないので、よく見るような「〜への行き方まとめ」とか、「◯◯の安宿情報」とかいうタイトルを一切つけてこなかったのですが、さすがにチリに関しては見どころ満載過ぎて、「チリ」という5画2文字でまとめるにはあまりにも無理があると思ったのです。
一つの国の中に砂漠と氷河がある。
つーわけで今回は、悲劇の島イースター島編です。
ちなみに「イースター島」という名前は後からヨーロッパ人がつけた英称で、スペイン語ではパスクア島、現地の言葉ではラパヌイと言います。
なぜ悲劇の島なのか、というところと、僕がイースター島に行ってみたいと初めて思ったきっかけは同じ理由なのですが、僕が大学在学中に勉強していた環境問題の授業で、「限られた資源を食い潰して滅亡に至ったイースター島は、現在の地球の縮図である」という話を聞き、イースター島を見る必要があると感じたからです。
特に当時は京都議定書が締結された直後で、環境問題(というか地球温暖化)に対して世の中の関心が非常に高まっていました。残念ながら今やその関心もほとんど消え去ってしまっていますが…。
また実際はイースターの人々がいなくなった理由は未だにはっきりとはしていないのですが、確かに自分の目で実際に島を見た限りでは、「資源を食い潰した」という説が有力なのも納得だなと思いました。
イースター島には森がほとんどない。
さて前置きが長くなってしまいましたが、イースター島に上陸した時、僕は情けないことに風邪を引いており、一時は肺炎じゃないかと思うぐらい咳が止まらず腹筋がバキバキの筋肉痛になっておりました。
イースター島に飛んだのが12月27日。
それから5日間、つまり年末までずっと、宿泊していたキャンプ場と街のスーパーとの往復のみ。
一応年越しの花火だけはキャンプ場から見ましたが、それ以外はイースター島らしいことは何一つせずに回復に努めておりました。
そして来たる2018年1月1日。
スーパーの野菜売り場のおばちゃんと「¡Feriz ano!」(「Happy new year!!」のスペイン語。正しくはFeriz ano nuevoだが、地元の人はnuevoを省略していた)と言ってハイタッチ&グータッチをし、気分一新。ほんとは風邪治ってなかったけど。
バイクをレンタルし、島一周へ繰り出しました。
有名なモアイ密集スポットとは別に、島のあちこちで放ったらかしのモアイが目に付きます。
扱いの差。
イースター島が近代になってヨーロッパ人に発見された当時、島にあった約1,000体のモアイ像は全て倒れていたそうです。
これにも諸説あるのですが、かつて部族間で争いがあった時、敵対する部族のモアイ像を倒していたとされる説が有力。
今のように立っているモアイが見られるのは、後から立て直したものであり、一部の物はなんとチリと日本の協同プロジェクトによりクレーンで起こされたとか。
日本語で書かれたサイン。
また島内には綺麗なビーチもあり、皆海水浴を楽しんでました。
外国人てほんとビーチ好きですよね。
そして驚いたのが、イースター島の海の美しさ。
メキシコのイスラムヘーレスやキューバの海も綺麗でしたが、イースターの海の青は物凄く綺麗で、久しぶりに海で感動しました。
「イースターはついモアイに意識が行きがちだけど、何気に自然が素晴らしい」という話を以前どこかで聞いていましたが、ほんとその通り。
写真では伝わらないが物凄い「青」のグラデーション。
ちなみにイースター島で僕が一番テンションが上がったのは、島で最も高い山(と言っても500mぐらい)の頂へと続くトレイルを走ったときです。あのトレイルと景色は素晴らしい。
あんなとこ多分日本人旅行者は誰も行かないんだろうな。
イースターには森がほとんどないので、山で森を発見しただけで若干テンション上がる。
ところで、イースター島にかつて住んでいた人達はどこから遥々海を越えて来たのか?
この島はチリではあるが南米大陸からも遠く離れた絶海の孤島でありイメージしにくいのですが、ポリネシアトライアングルと呼ばれる海域に属していて、ルーツはタヒチやハワイの人々と同じとされています。
イースター島の人々はかつて奴隷として島から連れ出された歴史と疫病などによって識字層が全滅してしまい、かつてこの島で使われていたロンゴロンゴと呼ばれるラパヌイ語は現在でも解読不能だそうです。
ポリネシアトライアングル。
今はもう誰も読むことのできない文字。なんと書かれているのだろうか。
関係ないけど島ではモアナの幼少期を実写化したみたいな超可愛い女の子を発見しました。
てかポリネシア系の子供は皆超可愛い。
そして大人はもれなく体がデカい。
イースター島での正しいパイナップルの食べ方。このまま丸かじり。
あと、この旅を始めてから気付いたんですが、今まで全く興味がなかったのに、僕結構「壁画」が好きかも。
遺跡とか博物館とかで歴史を感じるのも良いのですが、壁画ってなんか謎多きところが魅惑的というか、誰かが後世にメッセージを残したのか、あるいはただの子供の落書きに過ぎないのか、それって誰もわからないですよね。
巨大な遺跡だったら子供のイタズラってことはありえないから、学者たちが解明できるまで研究するんでしょうけど、壁画ってどうやって目的を突き止めるんだろう。
今後はちょっと世界の壁画にも目を向けてみたいと思います。
とりあえずラスコーの映画見ないと。
長くなってきましたがもう少し。
イースター島には先程も書いた通り、かつて奴隷としてラパヌイ人が一度島から連れ出された経緯があります。
そして現在は、ラパヌイ人の子孫よりも後から移住してきたチリ人の方が多く島に暮らしています。
表面上はなんの問題もなくやっていますが、実はかつて、イースターが国家として独立しようとしたことがありました。
実際にイースター島が独立してやっていけるとは思いませんが、かと言ってこのままチリという国にこの島の文化や伝統が飲み込まれてしまうのももったいない気がします。
このあたりは今後も課題として残りそうです。
島のあちこちで見かける「ラパヌイ」のマーク。お土産品のデザインにもなっている。
さてさて、今回はただの旅行記に留まらず色々なことを書きました。
マチュピチュのときもそうでしたが、有名な観光地にただ行くだけではなく、しっかりと歴史や文化を知った上で行くと、楽しみ方も変わってくるし、場合によっては現地でのマナーなど気をつけなくてはいけないことなども分かります。
最近は世界一周や長期旅行をする若者が増えて良いことなのですが、モラルに欠けている一部の旅行者のせいで日本に対するイメージが悪くなっていることも少なくありません。
「人生一度きりだから好きなことをやる」
聞こえは良いですが、次世代のことも考えた上で口にしたい言葉です。
僕のブログはあくまでも「僕の」ブログなので、万人ウケしないのを分かった上で書いています。別にランキングとか参加してないから気軽なもんですよ。
次回は大都会サンティアゴと、チリのリゾート地プコンでトレイルトリップを敢行した件について。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜アルゼンチン編①〜
Hey guys!!
今あたくしがいるのはチリ、チリと言えばチリワイン、ワインと言えばチーズ、チーズと言えばブルーチーズと蜂蜜が止まらない、ロマンティックが止まらなどーも僕です。
ブルーチーズと蜂蜜に赤ワイン、マジで限界まで挑戦してみたき候。
さてさて、今回はチリから一度アルゼンチンに入ったお話ですね。
サンペドロデアタカマからバスで23時間かけてチリの首都サンティアゴへ、そしてそのままバスで7時間かけて、アルゼンチンのメンドーサという街へ。もう日本に帰ったらどこまでバスで行っても余裕です。
サンティアゴからメンドーサへのバスは、国境だけでなくアンデス山脈を越えて行くのですが、これが最高ったらありゃしない。
山好きにはよだれもん、鼻血もんのランドスケープで、7時間の道中一切眠気に襲われることなく興奮しっぱなしでした。
しかも隣に座ってたアルゼンチン人のおばあちゃんと仲良くなったし飴もらったし。
途中外の山を撮ろうとケータイを構えてたら、「¡Ahora!(今よ!)」とタイミングを指示してきてウケました。
ボリビアからチリに入るときには厳重な荷物チェックがあったのですが、チリからアルゼンチンに入るときには、マジかよっていうぐらい何もチェックなしの検問でした。
一応検査エリアみたいなとこに荷物を持って並ばされるのですが、荷物に指一本触れることなく終了。バスから荷物持ってきた意味…( ˊ̱˂˃ˋ̱ )
さてメンドーサには2つ有名なものがあります。
1つはアコンカグアという南米一高い山。南米一と言いつつ、ヒマラヤ以外では世界で一番高い山になります。てかヒマラヤに高い山が集まり過ぎ。
本格的な登山以外にも、麓の軽いトレッキングや、冬にはスキーリゾートとしても賑わうらしいです。
アコンカグアチラッ。
2つ目はワイン。
アルゼンチンワインが有名なのは言わずもがなですが、実は日本に輸出されているアルゼンチン産ワインの9割以上はここメンドーサで生産されたものらしいです。
それぐらいワインの産地として有名なメンドーサ。
そりゃあもちろん呑みまくりました。
ぶっちゃけメンドーサ滞在中、毎日一人でボトル一本空けてました。
そしてアルゼンチンでもう一つ有名なのが、牛肉。
有名なのが牛肉に赤ワイン、とくれば当然ディナーは…
あざーっす!
メルカドで肉買ってきて毎晩ステーキ三昧ざます。ざました。
この写真は赤ワインではなくリンゴとマスカットのスパークリングワイン的なやつで、200円ぐらいで超うまい。
ステーキ、うめぇ。肉、ウメェ。
オレ、ニク、タベル、シアワセ。
I.Q16の口調になるのも無理はありません。
広大なワイン用ブドウ畑。日本の葡萄畑とだいぶ違う。
実は日本を出る前にはアコンカグアに登ってやる気満々だったのですが、登山料の高さと約2週間分の食料を持って登らなければならないという情報を旅の途中で聞き、アメリカのJMTでの悪夢を思い出したヘタレな僕はアコンカグア登頂を早々に諦めていたのですた。
そしてメンドーサに行くまでは、「3日間のパーミットを取って、サクッと麓のトレッキングを2泊3日で…」と目論んでいたのですが、現地のオフィスに行くと3日間トレッキングするためのパーミットがなんとUS180ドル!
当時のレートで約2万円!!!!!
しかもメンドーサの街から登山口まではバスで2時間かかるので、2万円プラス往復のバス代が最低でもかかる!
バッカじゃねぇのアルゼンチン!!
と軽くキレ気味でソッコー辞めました。
その後パタゴニアでもアルゼンチンに再入国することになるのですが、この国はほんっとに物価が高い上に観光客から金を巻き上げるのなんの!
バスに乗り降りする時に、荷物を預けたり降ろしたりするだけでチップ(と言っても任意ではなく必ず払わされる)を要求してくる始末。
いままで経済的にもっと貧しい国ですらそんなことでチップを要求したりしなかったのに。アルゼンチン、正直あんまり好きになれません。
物価も雰囲気もここはヨーロッパか?行ったことないけど。
というわけで、アコンカグアトレッキングを辞めた僕は、メンドーサでやることが一切なくなってしまいました。
まぁバスに乗って日帰りでどこかに行ったり、他の旅人がやっているようなワイナリー巡りをしたりという選択肢もあるにはあったのですが、いかんせん値段が高い。
他の物価の低い国で値切ってる旅人が、こんな物価の高い国でワイナリーツアーとか氷河トレッキングとか行ってたのかよと思うと、正直「なんだかなぁ」と思ってしまいます。
そんな金あんのにたかだか数百円数十円を値切るのか…。
そんなわけで、毎日宿の近くにあった一周10kmぐらいある馬鹿でかい運動公園(中にスタジアムやキャンプ場、動物園まである)を走ったり、街をぶらぶらしたり、日本に帰ったら食べたいものを妄想したりしてのんびり過ごしていました。
公園内にある山からの眺め。空の青さやばし。
山頂にあるFFに出てきそうな像。
カリスマイントラ?による屋外ラテン系エクササイズ。
さてさて今回のブログは薄ーい内容となっておりますが、ご了承ぐたさい。
ちなみに再度チリに入国するときも、ボリビアから入る時よりかなりあっさり済みました。
通る場所によってこんなにも対応が違うんですね。
エルカラファテからプエルトナタレスに入るときはさらにあっさりで、空港みたいに手荷物をX線ベルトに流して、その間に預け荷物は麻薬犬がクンクンして終わり。
ボリビアの信頼度が低いのか?
次回は再びチリへ、そして、モアイ像で有名な「悲劇の島」イースター島へ。
乞う、ご期待。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜チリ編①〜
Hey guys!!
パイネトレッキングを終えてからというもの、毎日のように肉を買ってきてステーキを喰らっております。チリ、そしてアルゼンチンと言えば牛肉とワインだろ!ということでベジタリアン経験がある人間とは思えないほど動物を喰どーも僕です。
最高に楽しかったけどトレッキング中はずっと肉を食べたいと思っていた。
さて今回からはチリ編ですが、チリ編にはイースター島もパタゴニアも含まれる為、なかなかのボリュームになりそうです。パタゴニアだけでもブログ記事4回分ぐらいかかりそうだからね。
まずは最初の街カラマと、星空&月の谷で有名な街サンペドロ・デ・アタカマ(以下サンペドロ)から。
ウユニからバスでチリに入国した僕とMさる君。
ボリビアからチリへの入国審査は噂通りの厳しいもので、ザックの中の物を半分以上出され、果物や植物の種を持っていないか、厳重なチェックを受けました。
でも実は申告対象になっているハチミツはバレなかったんですけど。
砂漠のど真ん中に国境。他の国と違い、出国と入国の手続きの場所がだいぶ離れていた。
カラマという街は大きいながらもアタカマ砂漠の中にあることを感じさせる色合いや雰囲気で、風が吹くと砂埃が舞います。
とりあえず僕らはメルカドの食堂で、チリ最初のご飯を食べることに。
Mさる君はチキンで僕は魚のフリッターみたいのを頼んだのですが、これがかなり美味しくチリの魚料理に期待が持てるスタートとなりました。
Mさる君はサンペドロには行かず、カラマからヒッチハイクで南下するとのことで、ここでお別れ。
僕はそのまま夕方発のバスでアタカマに向かいました。
ちなみに車内温度40℃でエアコンなし。
他の乗客が何度も運転手に文句を言いに行ってましたが最後までエアコンがつくことはなく。
よく問題になってねぇなあのバス会社。
サンペドロは不思議な街で、とても小さくて埃っぽく、建物もほぼ土でできているのですが、土壁の店の中は高級ジュエリーショップだったり、ブランド物のアパレルショップだったりと、とても人工的なお洒落感が漂っています。
(そんなわけで今回記事の写真は全体的に茶色く仕上がっています。)
その中でも僕が2泊したキャンプ場は、リャマや羊を買っていたりとうもろこし畑のすぐ横にテント場があったりと、とても居心地の良い場所でした。
オーナー?のおばちゃんもめっちゃ良い人だったし。
ちゃんと屋根もあって快適なキャンプ場兼ホステル。
畑の横で朝陽を浴びながらカラマのメルカドで買っていったチェリー、オレンジ、桃をいただく。贅沢な時間。
サンペドロには月の谷と死の谷という場所があり、通常はツアーで行くのが一般的らしいのですが、僕は自転車をレンタルして炎天下に合計40kmぐらい漕いでその2つをまわりました。
自転車の方が安いし、車だと飛ばしちゃう隠れビューポイントも見れますからね。
そしてトレーニングにもなるし。
最初に行った月の谷を上から見下ろすポイント。白い部分はもちろん雪、ではなく全て塩。
死の谷。
月の谷内部。ビューポイントがたくさんある。
ウユニは塩湖でここは塩山?
まぁ正直暑いし道はガタガタだしチェーンはしょっちゅう外れるしでなかなかハードでしたが、その分他の人が行かないような場所に行くことができました。
確実に誰も行ってないようなちょっと危ないポイントまで行って、絶景を独り占めしたときは若干テンションが上がった自分を写真に収めておきました。
着地点のすぐ向こうがそこそこの崖になっているのでビビり気味でジャンプが低い。
よく見ると岩ではなく塩の結晶でできている。
時々「バキッ」とどこかでひび割れる音がする。
さて肝心の「世界一の星空」ですが、もうまったく気分が乗らず、夜中にテントからちょっと空を見たぐらいで、特にビューポイントまで行くようなことはしませんでした。
だって「ここで星空が綺麗に見えますよ」って場所が決まってるから、絶対人いっぱいいるし。
それよりは一人でキャンプ場でビールを飲んでる方が、この時の僕にとっては幸せだったのだからしょうがない。
サンペドロは日差しが強いせいか、子供が遊ぶ遊具や、街外れの歩道にちゃんと屋根が付いています。
日本もなんでもかんでも電気に頼るんじゃなくて、日陰で暑さを凌ぐ仕組みをもう少し増やしてもいいのになぁと思います。
あっという間でしたがなかなか充実した2日間を過ごしたサンペドロデアタカマを後にし、そのままチリの首都サンティアゴまで22時間のバス移動。
そしてさらにそのままバスでアンデス山脈を越え、アルゼンチンのメンドーサという街まで約8時間のバス移動。
というわけで、チリ編が始まったばかりですが、次回は時系列的に一度アルゼンチン編に突入します。
それではまた!
See you soon!!