日本人が考えなければいけないこと。

本来なら日本に帰ってからゆっくり書こうと思っていたテーマがたくさんあるのですが、そのうちの2つは今書かなければと思い、旅ブログの途中ですが社会ネタを。

もちろん批判的意見があることも分かって書いているので、皆さんの考えもシェアしていただけると嬉しいです。

 

①福島の放射線影響について。

旅で出会った友人がFacebookでロシア外務省の発表をシェアしていた。

内容は「日本政府は福島第1原子力発電所事故によって発生した液体放射性廃棄物の太平洋への放出を禁止すべきである」というもの。

 

日本人にも福島原発の影響を懸念している人が多いことは事実だ。

実際僕の友人にも「福島の野菜は食べたくない」と未だに言っている人が一部いる。

僕はあらゆる問題を考える上で一番害になるのが、「先入観」や「偏見」だと思っている。

震災直後から、福島における放射線量データをtwitterで発信し続けてきた人がいる。(「考え」ではなく「データ」というところがポイント。)

原子物理学者の早野龍五先生だ。

放射線による内部被ばくに少しでも関心があるなら、まずは早野先生の本を読んでから色々な意見を言って欲しい。

早野先生の最近のインタビュー記事はこちら→https://synodos.jp/society/20710

 

僕が言いたいのは単純に「福島の野菜は安全ですよ」ということではない。(もちろんそれもものすごく重要。)

情報を発信したり自分の意見を公の場に出すときに、それによる影響が大きければ大きいほど、「確実なデータ」が必要になってくる。

それが個人の問題だろうが、国単位の問題だろうが、良い悪いの「イメージ」で感情的に議論しても何も生み出されない。

僕は普段、論理的思考ではなく心や直感でといった何の根拠もない動機のもとで行動するタイプの人間だ。

そんな僕ですら、他人や社会に対して何かを発信するときには確実な根拠を提示する義務があると思っている。

僕が、ブログで収入を得ている人をあまり好きになれないのはそういうところだ。

 

ちなみに「信じるか信じないかは、あなた次第」ではないが、結局様々な情報やデータが飛び交う中で、最終的に何を信じるかは個々に決めれば良いことだと思う。

僕も出来るだけ、個人的な感情や考えを抜きにして、たとえ違和感があろうともちゃんとしたデータで証明されていることであれば信じるようにしているが、人間である以上、思考の好みは必ずある。

 

意見が対立するのは当たり前のことで、それ自体はとても良いことだ。

1人も批判する人がいない意見があるとしたら、それは宗教だ。

 

ただ、福島の放射線影響のことを非難的に話題にするだけで、将来に対して途方も無い不安を感じる人々がいることを知る必要はある。

「自分には子供が産めるのか?産んでも大丈夫なのか?」

無責任に不安を煽る人が多いが、そう思う人が福島には少なからずいることを分かった上で、根拠のある議論をしなくてはならない。

 

そして非難をするなら、「ではどうすれば良くなるのか?」まで考える義務があると思う。

非難するだけなら誰でもできる。

大切なのはその後だ。

そこからが有益な議論の始まりだ。

ただ大声で不安を煽るだけ煽って、自分は何もしないような人の意見に、僕は耳を貸すつもりはない。

 

②海外を旅する上で忘れてはならないこと。

もちろんたくさんあるのだが、ここでは海外における日本人の振る舞いについて。

先日、ボリビアのウユニに行ったときに感じたこと。

以前から噂では、「ウユニには日本人お断りの宿がある」と聞いていた。

長期で海外を旅している人には有名な話かもしれない。

理由は、水や電気が貴重な発展途上国(僕はこの言い方自体好きじゃない)で、日本人がお構いなしに大量の水で洗濯したり、電気をつけっぱなしにしたり、グループでレストランに入って騒いだりするかららしい。

 

近年、SNSの影響でウユニは日本人バブルだ。

ペルーのマチュピチュ遺跡とセットで2〜3週間のパッケージ旅行を販売している旅行会社も多く見かけるようになった。

マチュピチュ観光の拠点になるクスコはかなり発展していて、物価もどんどん上がってきているようだった。

それにくらべウユニは驚くほど小さな街で、なぜ世界屈指の観光地なのに国がもっとインフラ整備しないのか不思議なぐらいだ。

実際僕が行ったときも、日本人と韓国人が多くいて、塩湖に行くツアーにも他の日本人と一緒に行くことになった。

彼らは全員1人旅をしていて、長期旅行者もいたし、以前他の国でも会ったことのある人もいた。

 

誤解のないよう先に言っておくが、彼らのことを僕は大好きだ。

ただ正直に言うと違和感を感じた部分もあった。

それはウユニや発展途上国と呼ばれる国を訪れるほとんどの日本人に言えることなのだが、彼らは当たり前のように値切るのだ。

少しでも安く、一食分の食費、一泊分の宿代を浮かせるため、100円や200円、時には数十円単位で値切る。

そんな彼らが他の国では一食1,000円以上するディナーを食べたり、空港のプライオリティラウンジを使ったり、日本でディズニーランドに行ってポップコーンを食べたりするのだ。

 

もちろん貧乏旅行者の気持ちがわからないわけではないが、いくらこちらの所持金が低いと言ったって、いくらウユニが観光地で他の街より潤っているからと言ったって、飛行機に乗って外国を旅している時点で、現地の人々からすれば日本人は大金持ちなのだ。

 

海外を旅するときに、こういった日本人の振る舞いは、その後その土地を訪れる日本人、あるいは外国人旅行客にも悪いイメージを与えかねない。

実際本当に日本人お断りの宿があるかどうかは分からなかったが、あってもおかしくないし、多分今後さらに日本人が増えればそういう宿やツアー会社も出てくるだろう。

 

旅は自分だけのものではない。

それを僕はこの旅で学んだ。

 

 

*最後に。

色々書いたが、結局僕が一番大事にしていることは、「自分が楽しいかどうか」だ。

 

他人を不安にさせるようなことを言っても僕は楽しくないし、10分も20分も粘って値切ることも楽しくない。

「お前だけの問題じゃないんだよ」と怒られそうだが、「自分が楽しんでいる人が人を幸せにする」というのが34年間生きてきて学んだ、今のところの結論だ。

「人の為に私は辛いことも我慢できる」とか、「楽しくはないけど社会の為に頑張る」とか、そういう人をたくさん見てきたが、大抵その人の周りにいる人は幸せそうには見えなかった。

少なくとも僕には。

逆に、どんな理由や目的があろうが、一家族だろうが大企業の社長だろうが、数億円を動かすプロジェクトだろうが数億円の借金がある人だろうが、その瞬間瞬間を楽しんで生きている人の周りにいる人は幸せそうに見えたし、実際幸せだと言っている人をたくさん見てきた。

 

綺麗ごとでもなんでもなく、僕は自分の周りにいる人が幸せだと自分が嬉しいし、自分が嬉しくなりたいから周りの人にも幸せになって欲しいと思う。

その為にはまず自分が楽しむことが大切。

だから僕はただひたすら自分が楽しいと思えることをする。

幸いなことに、僕は心から楽しいと思える趣味をたくさん持っている。

 

楽しむ権利を持てる日本人に生まれたことを、本当に幸運だと思う。