旅ブログ〜ペルー編②〜
Hey guys!!
ウユニで列車の墓場と白い大地と鏡張りと星空と日の出を見たらやることがなくなってしまっどーも僕です。
昨日まで2泊した宿を変えたらWi-Fiが多少は早くなったので、久しぶりにペルー山旅編再開です。
最高だったラグーナ69サーキットトレイル(僕が勝手に名付けた)を終え、次はラグーナ69と並びワラス滞在者に人気のルート、サンタクルス谷トレッキングへ。
僕はカシャパンパから歩き始めてバケリアをゴールとしたので画像とは逆ルートですが、ご覧の通り、5,000〜6,000m級の山々を眺めながらのトレッキングルートとなっており、通常3泊4日でガイド付き+ドンキーと呼ばれるロバに荷物の大半を持ってもらうツアーが人気です。
僕は単独で約25kgのザックを担ぎ、2泊3日の日程でトレッキングしました。
初日の前半はまだ天気がよかったのだが...
アメリカやメキシコも牧場の規模が日本とはケタ違いでしたが、ペルーはなんというか、放牧の度が過ぎて半野生化してる動物が多かったです。
決して野生ではないんですけどね。
でも絶対管理しきれてないだろうってぐらい山々のあちこちに散らばってます。
白骨化した仲間を見て何を思うのだろうか。
牛や馬はこちらが近づくと逃げるけど、ドンキーは向こうから近寄ってくる。というかついてくる。
初日、9時頃から歩き始め、予定していたキャンプ地に着いたのが午後2時。
次のキャンプ地までは2時間あれば行ける距離だったので、行ってしまうことにしたのだが、1時間ほど歩いたところで天気が急変。
「世界で最も美しい山」に選ばれたこともある名峰アルパマヨの麓で急遽キャンプをすることに。
雨の中テントを張るのは初めてではなかったけど、標高3,000m以上で強い雨の中テントを張るのはやはり辛いものがある。
装備は濡れるし、かなり寒かったのでこの日はテント内でパスタを作って食べた。
翌朝もすっきりしない天気で、仕方なく濡れたままのテントを撤収。
朝のアルパマヨを拝んだ後、このルートで最も標高が上がる峠越えにかかる。
厳密にはこの反対側の南西壁が世界で最も美しいと評されたシルエット。
美しくも厳しい山々。
近いようで遠い峠。ここが一番きつかった。
峠を越えると、それまでは雨時々曇りだった天気が、霰(あられ)時々雹(ひょう)に変わった。
バチバチと体にあたり少し痛いけど、弾いて濡れないので雨よりマシだと思える。
途中トレイル上で牛がガチ喧嘩していて少しビビった。
2日目のキャンプ地。
2日目の夕方、キャンプ地でご飯を作っていると、山のマナーを知らない欧米人グループが断りもなくすぐ近くにテントを3張り設営し出した。
しかも他にも場所はあるのに。
通常キャンプ地で先にテントを張っている人の近くに自分のテントを張りたい場合、一言断りを入れるのが万国共通の山のマナーだ。
おそらく彼らは普段山でキャンプなどしないただの旅行者なのだろう。
夜中になってもライトを点けてなにやら談笑していて、正直あまり眠れなかった。
これから海外でキャンプをする日本人旅行者の方、くれぐれも日本人の品格を落とさないようにご注意ください。
最終日はすっきりとまではいかないものの、天気はやや回復し、緩やかな下り基調のコースということもあって、快調に歩を進めた。
結局最終日は午前中のうちにゴール地点のバケリアへ到着し、街へ降りるコレクティーボを1時間ほど待ってから絶景ルートを通って下山。
なぜかラッキーなことに、途中の絶景ポイントでドライバーのおっちゃんが「俺今からここで昼飯食べるから20分ぐらい適当に写真でも撮ってて」と言い出したので、8名ほどの乗客はしばし写真撮影タイム。
これが噂のペルビアンタイムというやつか。
そんなこんなで2泊3日のサンタクルストレッキングは終了。
本来ならこのあと、Huayhuash(ワイワシュ)というトレッキングルートにも行こうと思っていたけど、雨季に入りつつあるペルーをこのサンタクルスで実感したので、予定を変更してワラス近辺の手頃な山で遊ぶことに。
そのときの話はまた次回のブログで書きますが、この判断は結果として大正解となりました。
さて、最後に前回ブログで軽く触れた通り、トレッキングの間に2日滞在したユンガイという街について、どうしても触れておかねばなりませぬ。
というのも、ペルー史上最悪の地震災害であるアンカシュ地震(1970年5月30日に発生)が起こった際、最も被害が大きかったのがこのユンガイという街。
※アンカシュ地震ー死者・行方不明者はペルー全体で約70,000人で、500,000人以上が家屋を失った。震源地に近かったアンカシュ州の州都ワラス(Huaraz)では当時の人口の約半分にあたる30,000人以上が死亡し、建物の約90%が倒壊した。(Wikipediaより)
この地震により、ユンガイのすぐ近くにあるペルー最高峰のワスカラン(6,768m)の北峰が氷河と共に大崩落を起こし、3000mの標高差から流れ落ちた大量の土砂と氷塊が、時速300kmでユンガイの集落を襲いました。当時のユンガイの人口(約18,000人)のほとんどが死亡しました。
現在ある"新"ユンガイは、"ユンガイ跡地"のすぐ横に再建された街で、ユンガイ跡地は下の写真のようになっています。
死者を弔う美しいお花畑。ところどころにお墓がある。
教会だった建物。
当時街を走っていたバス。
墓地。実はこれはアンカシュ地震以前にあった雪崩災害のときに作られたもの。皮肉にもキリスト像の視線の先にはワスカランがそびえている。
地震の被害を伝える写真展示スペースにて。
地震前後の写真で、街がまるごと無くなっているのがわかる。
どうして僕がこの場所を見ておきたかったかというと、地震大国の日本で生まれ育った人間として、同じ痛みを共有し、そしてそこから学ぶべきものが少なからずあると思ったからです。
ちなみに痛みを乗り越えるための意思表示なのか、ユンガイのおばちゃんの民族衣装はとりわけド派手でした。
あと全く関係ないのですが、街にこんな食堂があったのでさぞかし日本好きなのかと思い入ってみたのですが…
挨拶程度の日本語も通じないどころかそもそもワンピースが日本の漫画だってことすら知りませんでした。
尾田先生がこの店を訪れる日が来ることを心から期待します。
さてさて、ペルー編はまだまだ終わりそうにないですが、リアルタイムでは17日にボリビアを出てチリに入ります。
イースター島もガラパゴス同様Wi-Fi弱くてブログ更新できないだろうから、それまでになんとかペルー編は完結できるよう頑張ります。多分無理です。
それではまた!
See you soon!!