旅ブログ〜チリ編⑤(パタゴニア編)〜
Hey guys!!
先日、福岡・長崎に行ってきました。つーか博多と壱岐島だけだけど。
中南米で20時間以上のバス移動がザラにあったため、日本の快適なバスで15時間ぐらい超余裕、と思って今回も夜行バスで行ったのですが…
思ったより快適じゃなかったぁー!どーも僕です。
中南米では長距離バス文化が発達しているせいか、あるいは日本人が向こうの人よりスリムだからか、座席は中南米のそれよりも狭く、リクライニングも飛行機よりは倒れるけど…ってぐらいのレベルしか倒れず、それでいて料金は中南米の倍以上するんだからやってらんないっすよね。
はい、パタゴニア編2回目、パイネサーキットハイキングの続きです。
先日あしラボの小野寺先生に「後ろ足が残りすぎてる」と注意されたフォーム。
4日目まで強風に煽られながらも毎日山にかかる虹を見ながらの絶景ハイキング。
天気は上々。気分も上々。人生は上々だ。
パイネサーキットでもっともハードな峠越えのあるこの日は、なんと途中トレイルにテントが落ちているのを発見。
テントと言ってももちろん収納してあるやつですけどね。
トレイルのど真ん中に落ちていたので、間違いなく誰かが落として気づかずに行ってしまったと判断し、約1kgのテントを手に、持ち主に出会うまで持ち運ぶことに笑
その後5組以上のハイカーを追い越したけど、みんな自分のものではないと言う。
てかみんな落ちてるの見て見ぬフリしてきたのね。
そしてようやく持ち主と出会うことができ無事にテントを渡しました。
持ち主は「Unbelievable!!」って言ってたけど、テント落とすって不用心すぎるだろ。
この森の中のトレイルでテントを発見。奥に見える峠を越す直前まで手に持ったまま歩いた。
いたるところで名前もついていない氷河が見られる。
ハードな峠越えと言っても日本のアルプスのような急峻な山に慣れている人なら楽勝レベル。
ナショナルパークのゲートでもらう地図ではかなり大げさに高低図が描かれていますが…。
ところでパイネ国立公園で有名な景色は、3本の巨大な石柱のような山がそびえるTorres del Paineと、パイネサーキットの中心部の山をまとめて全部見たような景色のLos Cuernosですが、実は僕の中で一番エモかったのはこの日のPaso峠を越えた瞬間。
写真では伝わりにくいけど、目の前に岩ばかり見えていた急登を登って行くと、だんだんと向こうに見えてくる雪山、と、虹、と、巨大な氷河。
「なんだ、ただの天国か」と思いましたです。
エモい。この時は目の前の景色が全て輝きを放っていた。
下の白い部分は全て超広大な氷河。個人的には有名なペリトモレノ氷河よりこちらの方が全然良い。
氷河が崩れて水に落ちると綺麗な青色に変わる。なぜだかは知らない。
しばらくはこの巨大な氷河沿いに歩いて行きました。
実はこの旅の間ずーっと隠し持っていた「防寒テムレス」がついにここで日の目を見ました。
あ、テムレスとは作業用の防水グローブで、ホームセンターとかで1,000円以下で買えるのですが、そのコスパの良さにアウトドアスポーツで使用する人も少なくないです。
その後は次のキャンプサイトまでずーっと雨が降り続け、パイネハイキングをスタートしてから初めて特にテンションの上がらない、我慢の時間帯が続きましたが、キャンプサイトに着いた時には少しの間だけ晴れてくれました。
ちなみにこの雨でiPhoneが少し濡れ、ホームボタンが一切きかなくなりました。
コロンビアで強盗に遭った後すぐに買ったpatagoniaのレインジャケットが、どうやらMade in Chinaの粗悪品(てか偽物?)だったらしく、防水のはずのポケットまで水が染み込んでいてそのせいでiPhoneが…。
日本に帰ってきてからホームボタンだけ交換してもらい、今は完璧に治っています。
ペルーより標高は低いが、山が近いのでデカく見える。
パイネらしい白と黒のコントラスト。1時間ぐらいだけ雲が晴れてくれた。
キャンプサイトから展望ポイントへ。この後吹雪きだしたので、そそくさとテントまで撤退。
パイネサーキットのハイキング中は、とても美しい湖の湖畔を何度も歩いたのですが、とにかく風が強く、海のように波立っていて、時にはしぶきが横から吹き付けてくることも。
波打ち際がルートになっているところもあって、そんなわけないだろうと思い若干ロストした。
そしてパイネサーキットハイクの最終日前日、スタート地点からほど近いLos Torresキャンプサイトへ到着。
ここはWルートやTorres del Paineだけ行く人の拠点にもなっているので、キャンプスペースも広く、近くにはシャワー、洗濯場、売店、ホテルまである!
クッソ高いけどこれは我慢できんかった。あとポテチも。
最終日はプエルトナタレスまで戻るバスの時間があったので、それまでに帰ってこれるよう荷物はキャンプサイトへ預け、トレイルランニングでラスボスのTorres del Paineへ!
思いのほか走れるパートが多く、「パタゴニアでトレイルランニングをしている!」と思うだけでニヤけっぱなしでした。
多分周りの人から見たら、この時の僕はすっごく楽しそうに見えたか、気持ち悪い東洋人に見えたかのどちらかでしょう。
途中日本人ツアーのおじさまおばさまたちグループなんかとも遭遇しながら、最後のガレ場を登りきると有名なアレが目の前に姿を現しました。
アレに立ち向かう東洋人、の図。
若干ガスってて全てはっきりとは見えませんでしたが、一応有名なアレが見れたので良かったです。めちゃくちゃ寒かったけど。
下山時も超気持ちよく走って帰りました。
そうして夢のような7日間(約120km)のハイキングが終わり、無事プエルトナタレスの街へ。
パイネではサーキットOのハイキングともう一つやりたかったことが…。
それはカヤック!
もともとカヤック好きな僕が、憧れのパタゴニアで、氷河を横目に見ながらカヤックを漕ぐ。
最高じゃないすかー!
最高じゃぁ、ないっすかぁぁぁ!!
というわけでカヤックをした話はまた次回。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜チリ編④(パタゴニア編)〜
Hey guys!!
久しぶりのブログ更新ですね。オリンピックでのメダルラッシュだったり東京マラソンでの日本人の活躍だったりと、スポーツ界での明るいニュースが多い中、僕の関心事はNTTが2020年から実用開始を目指している5Gどーも僕です。
フィリピン留学を合わせると10ヶ月も日本を離れていた僕でも知っている5Gですが、意外にまだ知らない人も多くびつくり(敢えてのびつくりね)しています。
5Gと5Gがもたらす未来についても書きたい事がたくさんあるのですが、それは旅ブログが終わってからゆっくり書く事にします。
今何かと話題の仮想通貨の事とかも書きたいんだけど、それもまた後で。
さてと。
いよいよ、ついに、やっと、とうとう…
パタゴニア編キタァァーーー!!ゼェ…ハァ…
まぁ興味ない人にとっては「パタゴニア?なにそれ、動物園かなんか?」ぐらいのもんでしょうがね。
もしくはアウトドアブランドのpatagoniaの名前ぐらいは知っている方も多いかもしれません。
これね。
とにかくアウトドア愛好家の私としては、ウユニ塩湖だとかマチュピチュ遺跡なんてどうでもいいぐらいにテンションのアガル場所なのであります。
パタゴニアに限らず、ヒマラヤとかアラスカとかって、名前を口にしただけで何かこう心がざわっとするものがあるんですよね、なぜか。
とはいえ興奮してばかりいても伝わらないので、そろそろ落ち着いて書いて参ります。
前回訪れたプコンという街から、一度夜行バスでサンティアゴまで戻り、着いた日にそのままプンタアレナス行きの飛行機へチェックイン。
チリ最南端の街プンタアレナスは、船や飛行機で南極へ向かう発着地としても有名です。
プンタアレナスはそこそこ大きめの街(ビルとかはない)ですが、この街自体にはこれといって見所もないので、1泊だけして早々にプエルトナタレスというパイネ国立公園の玄関口となる街へ移動しました。
プンタアレナスの街。風すごい。
プンタアレナスのバス停留所でまさかのスラムダンクが流れていた。
ところで「パタゴニア」とはチリとアルゼンチンにまたがる広大なエリアの地名で、その両国の下半分はほぼパタゴニアと言っても過言ではないと思います。
その中でも最も有名な場所が、チリ側のパイネ国立公園と、アルゼンチン側のフィッツロイ山でしょう。
特にフィッツロイはアウトドアブランド『patagonia』のロゴマークに使われている事でも有名です。さっきのアレです。
また、ここプエルトナタレスにはもう一つプチ有名なものがあり、それがこいつ。
ミロドン。
ミロドンというまぁいわばマンモス的な、かつてここに生息していた大型動物の化石が発見された場所であるという事です。
正直行って僕はこの街に来るまでミロドンの存在を全く知りませんでしたが。
山好き森好きトレイル好きの僕は、パイネ国立公園の核心部、1周約120kmのパイネサーキット("O"circuit、"O"trekなどとも呼ばれる)を歩くことをずっと夢見ていました。
「夢見ていた」なんて言葉は今までほとんど言ったこともないしできれば言いたくもないのですが、パタゴニアという日本からみれば地球のほぼ裏側に位置する場所で、自分一人で1週間キャンプ生活をするなど、一生のうちにそう何度も経験できることではありません。
加えてそれまでの約7ヶ月の旅の中で、街の宿でだらだらと時間を潰したり、観光客がうじゃうじゃいる場所に行ったりする自分に、正直嫌気がさしていたのも事実。
できることなら何日でも歩いていたいほどの素晴らしい景色の連続でしたが、パーミットやキャンプサイトの予約の関係で、今回はトータル7日間のハイキングとなりました。
ちなみに2017年度から、パイネのキャンプサイトがインターネットでの予約受付を開始し、当日予約無しでキャンプ場に行っても泊めさせてもらえないので、注意が必要。
予約は数ヶ月も前から埋まっていきます。
僕はこの情報をキューバで出会った日本人の男の子から入手していたので、グアテマラ滞在中に予約していました。
テントの貸し出しもあるのでテントを持たないで歩くことも可能。手前のが僕のやつ。
プエルトナタレスの街からバスに揺られること1時間半、パイネ国立公園の入り口で入園料を支払います。
他の乗客のほとんどは、もっと簡単で距離も短い"W"trekというコースか、もしくはさらに短い日程でTorres del Paineという有名な景色を見に行くので、ここからさらにバスで先へ。
僕は前述の通り、パイネを1周するコースなので、ここから歩き出しました。
虹を見ながらチケットの列に並ぶ。
意外にも、世界でも有数の人気トレッキングルートにも関わらず、僕の周りを歩いている人間が一人もいない。
しかもトレイルは細く、ところどころ消えかかっているような場所すらある。
最初の数キロは単調な平原を歩いていたが、ある時ふと左手を見ると、雪をかぶった雄々しい山々が眼前に現れ、その時初めて「あぁ、自分は今、パタゴニアにいるんだな」と実感した。
やばいでしょこれは。
これは少し不思議な感覚で、もちろんその前からパタゴニアと呼ばれるエリアには入っていたし、絶景の中を歩くのも初めてではなかったけど、「自分が景色を見ている」というよりも、自分が景色の一部になっているというか、自分と景色の境目がなくなって融和しているような感じ。
トレイル上では全く人と会わなかったけど、1日目のキャンプサイトに到着した時にはなかなかの人数がすでにテントを張っていた。
歩いている時からものすごい強風で、体を30度ぐらい倒さないと立っていられない時もあった。
でもなんか、強風の時ってテンション上がりません?
僕なんかアガリまくってめちゃくちゃ叫んでましたよ。
今回は久しぶりのロングトレイルということで、荷物の軽量化を図り食料は街で買ったドライフード(お湯を注げば出来上がり的なやつ。乾燥しているのでとても軽い)と、パン、クッキーなどを用意したが、思ったよりカロリーが摂れず、3日目ぐらいからは常にお腹が空いていた。
本来なら1日4000kcalぐらい摂らなきゃいけないんだけど、この時摂っていたのは1日あたりたったの1000〜1500kcal程度。そりゃ腹減るわ。
袋は日本の尾西。だけどー…
中身はパスタ。海外で売ってるドライフードは大体2人前なので、袋がでかすぎるのだ。
でも植村直己さんの本とか映画『MERU』とか見たら、クライマーの人たちは1日数十〜数百kcalしか摂れないこともあるみたいだし、1000kcalでも死にはしないと思ってましたけどね。
2日目のキャンプ地も素晴らしい場所で、寝床からこの景色。
キャンプ地の少し手前にはすぐそこに氷河が見える絶景ポイント。
そしてここから、公式の地図には載ってないけどGPSマップでは地形的に行けそうな場所があったので行ってみることに。
これがまた最高の景色!そして誰もいない!独り占め!!
そりゃこうなりますよね。
前半のフォレストトレイルを1、2度プチロストしながら進むと、ガレガレトレイルの先には氷河があり、少しだけ登れそうだったので、氷河の上をザリザリと登っていく。
砂礫のように見えるが、よく見ると…
氷の上にうっすらと石や砂利が覆いかぶさっているだけ。すなわち滑る。
もちろん軽アイゼンとか持ってないし。
しかもところどころにクレバス(深い割れ目)があり、にわかにビビりだす。
しかも1回近くで砂の下の氷が溶けて陥没したらしく、蟻地獄みたいに砂がゾゾォー!って飲み込まれていったのを目の当たりにしてさらにビビる。
いやマジこんなとこでクレバスなんか落ちたら100%生きて帰れないからね。
初日も2日目も虹を見ながらのトレッキングで、マジでここは天国なんじゃないかと思うほどの素晴らしいハイキングでした。
というわけでまだパイネサーキットは続きますが、長くなってきたので今回はここまで。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜チリ編③〜
Hey guys!!
昨年6月にアメリカから始まった、僕にとって初めての長期海外旅行ですが、先日しれっと8ヶ月ぶりに帰国しまどーも僕です。
帰国して初めて口にしたものは、駅のホームの立ち食いそば。
泣くかと思うぐらい美味かったばい。
つーわけでやっとパソコンでブログが書けるので超楽。
今までiPhone6で書いてましたからね。貧弱Wi-Fiで。
はい、プコン編です。
と、その前に、実はイースター島に行く前に、チリの首都サンティアゴでスペ語学校仲間のSのぶ姉さんと再会を果たしていたのでその話から。
アルゼンチンのメンドーサから、クリスマスの日にサンティアゴへ戻った僕は、街があまりにも閑散としてほとんどの店が閉まっていることに愕然としました。
聞けば海外では割と普通とのこと。
クリスマスはみんな仕事休んで家族でまったり、まぁ日本はキリスト教じゃないので別に見習う必要はないと思いますが、正月三が日、あるいは大晦日と元旦ぐらいこんな感じで休みましょうよと言いたい。そして言った。
翌日、どっかから(どこか忘れた)サンティアゴに来るというSのぶ姉さんと待ち合わせをし、サンティアゴのメルカドセントラルでちょっと豪勢なランチを食べることに。
これがねぇ、う、う、うん、うんめぇ〜のなんのって!
海外で魚が美味いなんてこれまでの旅ならあり得ないことだったので、勢いで白ワインのボトルを3本も空けてしまいました。
バリバリ関西弁のSのぶ姉さん。ワインの前にはもちろんビールも。
場違い感満載の髭野郎。
そして昼間から酔っ払って街を徘徊&噴水で遊ぶ始末。
そんなこんなでSのぶ姉さんと互いの健闘を、否、良き旅を願って別れたのでした。
それがイースターに行く前の話。
イースターからサンティアゴに戻った日、そのまま夜行バスでプコンへ。
イースターやサンティアゴが半袖短パンで過ごせるぐらい暑かったので、プコンへ早朝着いた途端に寒さにびっくり。
ダウンがいる程の寒さでした。
おしゃれリゾート、プコンの街。富士山みたいなビジャリカ火山。
この後プコン初日色々あったのですがそれはすっ飛ばして、翌日Mさる君(分からない人はボリビア編②のブログ参照)がプコンに来ると言うので連絡を取ろうとしたのですが、あいにくお互いWi-Fiが使えるタイミングが合わず、僕は一か八かでツーリストインフォメーションの近くのカフェでMさる君が通るのを待つことに。
すると、通った。さすが我ら。
再会後間もなく、僕がその日から行こうと思っていたトレイルトリップにMさる君も同行することに。
行程はプコンからバスでHuerqueque(ウェルケケ)国立公園へ。そして公園入口のすぐ近くにあるキャンプ場で一泊し、翌日トレッキング18km、目的地は天然温泉のあるキャンプ場で、そこに一泊した後同じ道を帰ってくるというもの。
キャンプ場は美しい湖のほとり。この森の中にテントサイトがある。気持ち良い。
これまでの経験上、ペルーの標高4,000m以上のトレイルですら楽勝で20km以上歩けていたので、今回も楽勝かと思っていたのですが、意外にこまめに連続するアップダウンと、時折見失うほどのか細いトレイルに思いの外苦戦しました。
でも途中の景色は最高だったけど。
素晴らしいフォレストトレイル。
チリの富士、ビジャリカ火山。
標高低い割になかなかのアップダウン。20kmも歩いてないのにかなりきつかった。
そして以前Facebookにも書いた通り、途中森の中でケータイを紛失するという悲劇が。
ケータイが無いことに気づいたとき、マジで焦りと悲しさと情けなさが一気に押し寄せてきましたが、大体落とした場所は検討がついていたので、翌日の帰り道で奇跡的に発見することに賭けて、この日は先に進みました。
正確にはその場所にすぐに戻ったのですがこの日は見つからず、また相当疲れていたため、早く目的のキャンプ場に行きたいという気持ちも少なからずあり。
そしてご存知の通り、翌日奇跡が起きたというね。雨が降らなくて本当に良かった…。
目的のキャンプ場に着いたとき、キャンプ場近くの山小屋にまさかのビールが売っていたときは2人で狂喜乱舞し、その場でソッコー飲みました。あれは美味かった〜。
そしてキャンプ場前に流れる川のすぐ横にはお目当ての露天風呂が!
うおぉぉぉっ!湯気が立っている・・・!
正直お湯の中は苔とか浮いててあまり綺麗ではありませんでしたが、そんなのどうでもいいぐらいに最高のロケーションと湯加減でした。
この川沿いにある最高の温泉写真を是非ブログに載せたかったので、Mさる君に後日写真を送ってもらったのですが、ぶっちゃけMさる君の写真の腕はイマイチで(ごめんMさる君)、川と温泉とキャンプ場の雰囲気が伝わるものがありませんでした笑
とはいえきついトレッキングの後に大自然の中で露天風呂に入ってキャンプをする、最高でした。
まぁもちろん翌日またきついトレッキングが待っていたわけですが。
無事プコンの街へ戻り、肉とビールに飢えていた2人は少し贅沢をしてガッツリステーキと地ビールで乾杯。
これも最高に美味かったです。
プコンのキャンプ場で一泊し、南米で多くの時間を共にしたMさる君ともここでお別れ。
次は日本での再会を約束しました。
僕はプコンにもう一泊したのですが、出発の日、夜発のバスまでだいぶ時間があったので、街をぶらついていると何やら街が賑わっていました。
この日は土曜日だったのですが、翌日はなんとIRONMAN70.3のプコン大会が開催される日だったようです。
アイアンマンを知らない人も多いと思いますが、まぁ要はトライアスロンの世界大会で、参加する選手のレベルも参加費も、一般的なレースとはケタ違い。
僕もいつかは出てみたいと密かに思うレースの一つです。
素晴らしい自然に囲まれた街に設営されたゴールや応援席を見ると、アスリートの血が久しぶりに騒いできました。
トライアスロンでもトレランでもいいから、早くまたレースで遊びたいなー。
左は(湖の)ビーチ、正面には山、ゴールの奥には表彰台。このシチュエーションは・・・、アガルッ!
さてさて、次回からはいよいよ旅の最終章、パタゴニアシリーズが始まります。
正直旅にも飽きてきたというか若干疲れてきたタイミングだったので、最もテンションの上がるパタゴニアを最後に持ってきて本当に良かったです。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜チリ編②(イースター島編)〜
Hey guys!!
チリ最南端の街プンタアレナス を通る主要道路の名前が「RUTA DEL FIN DEL MUNDO」日本語に訳すと「世界の終わり街道」すごくないですか?この名前。
「世界の終わり」というとどうしても村上春樹の、世界の終わりとハードボイルドワンどーも僕です。
タイトルをちゃんと言うと「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」です。
なぜかホワイトアスパラのくだりときゅうりのサンドイッチのくだりが印象に残っておる。
さてお気付きの方もいるかと思いますが、この旅ブログを始めて以来、初めてタイトルに国名以外を入れました。
というのも、僕のブログは別に情報系ブログでもないので、よく見るような「〜への行き方まとめ」とか、「◯◯の安宿情報」とかいうタイトルを一切つけてこなかったのですが、さすがにチリに関しては見どころ満載過ぎて、「チリ」という5画2文字でまとめるにはあまりにも無理があると思ったのです。
一つの国の中に砂漠と氷河がある。
つーわけで今回は、悲劇の島イースター島編です。
ちなみに「イースター島」という名前は後からヨーロッパ人がつけた英称で、スペイン語ではパスクア島、現地の言葉ではラパヌイと言います。
なぜ悲劇の島なのか、というところと、僕がイースター島に行ってみたいと初めて思ったきっかけは同じ理由なのですが、僕が大学在学中に勉強していた環境問題の授業で、「限られた資源を食い潰して滅亡に至ったイースター島は、現在の地球の縮図である」という話を聞き、イースター島を見る必要があると感じたからです。
特に当時は京都議定書が締結された直後で、環境問題(というか地球温暖化)に対して世の中の関心が非常に高まっていました。残念ながら今やその関心もほとんど消え去ってしまっていますが…。
また実際はイースターの人々がいなくなった理由は未だにはっきりとはしていないのですが、確かに自分の目で実際に島を見た限りでは、「資源を食い潰した」という説が有力なのも納得だなと思いました。
イースター島には森がほとんどない。
さて前置きが長くなってしまいましたが、イースター島に上陸した時、僕は情けないことに風邪を引いており、一時は肺炎じゃないかと思うぐらい咳が止まらず腹筋がバキバキの筋肉痛になっておりました。
イースター島に飛んだのが12月27日。
それから5日間、つまり年末までずっと、宿泊していたキャンプ場と街のスーパーとの往復のみ。
一応年越しの花火だけはキャンプ場から見ましたが、それ以外はイースター島らしいことは何一つせずに回復に努めておりました。
そして来たる2018年1月1日。
スーパーの野菜売り場のおばちゃんと「¡Feriz ano!」(「Happy new year!!」のスペイン語。正しくはFeriz ano nuevoだが、地元の人はnuevoを省略していた)と言ってハイタッチ&グータッチをし、気分一新。ほんとは風邪治ってなかったけど。
バイクをレンタルし、島一周へ繰り出しました。
有名なモアイ密集スポットとは別に、島のあちこちで放ったらかしのモアイが目に付きます。
扱いの差。
イースター島が近代になってヨーロッパ人に発見された当時、島にあった約1,000体のモアイ像は全て倒れていたそうです。
これにも諸説あるのですが、かつて部族間で争いがあった時、敵対する部族のモアイ像を倒していたとされる説が有力。
今のように立っているモアイが見られるのは、後から立て直したものであり、一部の物はなんとチリと日本の協同プロジェクトによりクレーンで起こされたとか。
日本語で書かれたサイン。
また島内には綺麗なビーチもあり、皆海水浴を楽しんでました。
外国人てほんとビーチ好きですよね。
そして驚いたのが、イースター島の海の美しさ。
メキシコのイスラムヘーレスやキューバの海も綺麗でしたが、イースターの海の青は物凄く綺麗で、久しぶりに海で感動しました。
「イースターはついモアイに意識が行きがちだけど、何気に自然が素晴らしい」という話を以前どこかで聞いていましたが、ほんとその通り。
写真では伝わらないが物凄い「青」のグラデーション。
ちなみにイースター島で僕が一番テンションが上がったのは、島で最も高い山(と言っても500mぐらい)の頂へと続くトレイルを走ったときです。あのトレイルと景色は素晴らしい。
あんなとこ多分日本人旅行者は誰も行かないんだろうな。
イースターには森がほとんどないので、山で森を発見しただけで若干テンション上がる。
ところで、イースター島にかつて住んでいた人達はどこから遥々海を越えて来たのか?
この島はチリではあるが南米大陸からも遠く離れた絶海の孤島でありイメージしにくいのですが、ポリネシアトライアングルと呼ばれる海域に属していて、ルーツはタヒチやハワイの人々と同じとされています。
イースター島の人々はかつて奴隷として島から連れ出された歴史と疫病などによって識字層が全滅してしまい、かつてこの島で使われていたロンゴロンゴと呼ばれるラパヌイ語は現在でも解読不能だそうです。
ポリネシアトライアングル。
今はもう誰も読むことのできない文字。なんと書かれているのだろうか。
関係ないけど島ではモアナの幼少期を実写化したみたいな超可愛い女の子を発見しました。
てかポリネシア系の子供は皆超可愛い。
そして大人はもれなく体がデカい。
イースター島での正しいパイナップルの食べ方。このまま丸かじり。
あと、この旅を始めてから気付いたんですが、今まで全く興味がなかったのに、僕結構「壁画」が好きかも。
遺跡とか博物館とかで歴史を感じるのも良いのですが、壁画ってなんか謎多きところが魅惑的というか、誰かが後世にメッセージを残したのか、あるいはただの子供の落書きに過ぎないのか、それって誰もわからないですよね。
巨大な遺跡だったら子供のイタズラってことはありえないから、学者たちが解明できるまで研究するんでしょうけど、壁画ってどうやって目的を突き止めるんだろう。
今後はちょっと世界の壁画にも目を向けてみたいと思います。
とりあえずラスコーの映画見ないと。
長くなってきましたがもう少し。
イースター島には先程も書いた通り、かつて奴隷としてラパヌイ人が一度島から連れ出された経緯があります。
そして現在は、ラパヌイ人の子孫よりも後から移住してきたチリ人の方が多く島に暮らしています。
表面上はなんの問題もなくやっていますが、実はかつて、イースターが国家として独立しようとしたことがありました。
実際にイースター島が独立してやっていけるとは思いませんが、かと言ってこのままチリという国にこの島の文化や伝統が飲み込まれてしまうのももったいない気がします。
このあたりは今後も課題として残りそうです。
島のあちこちで見かける「ラパヌイ」のマーク。お土産品のデザインにもなっている。
さてさて、今回はただの旅行記に留まらず色々なことを書きました。
マチュピチュのときもそうでしたが、有名な観光地にただ行くだけではなく、しっかりと歴史や文化を知った上で行くと、楽しみ方も変わってくるし、場合によっては現地でのマナーなど気をつけなくてはいけないことなども分かります。
最近は世界一周や長期旅行をする若者が増えて良いことなのですが、モラルに欠けている一部の旅行者のせいで日本に対するイメージが悪くなっていることも少なくありません。
「人生一度きりだから好きなことをやる」
聞こえは良いですが、次世代のことも考えた上で口にしたい言葉です。
僕のブログはあくまでも「僕の」ブログなので、万人ウケしないのを分かった上で書いています。別にランキングとか参加してないから気軽なもんですよ。
次回は大都会サンティアゴと、チリのリゾート地プコンでトレイルトリップを敢行した件について。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜アルゼンチン編①〜
Hey guys!!
今あたくしがいるのはチリ、チリと言えばチリワイン、ワインと言えばチーズ、チーズと言えばブルーチーズと蜂蜜が止まらない、ロマンティックが止まらなどーも僕です。
ブルーチーズと蜂蜜に赤ワイン、マジで限界まで挑戦してみたき候。
さてさて、今回はチリから一度アルゼンチンに入ったお話ですね。
サンペドロデアタカマからバスで23時間かけてチリの首都サンティアゴへ、そしてそのままバスで7時間かけて、アルゼンチンのメンドーサという街へ。もう日本に帰ったらどこまでバスで行っても余裕です。
サンティアゴからメンドーサへのバスは、国境だけでなくアンデス山脈を越えて行くのですが、これが最高ったらありゃしない。
山好きにはよだれもん、鼻血もんのランドスケープで、7時間の道中一切眠気に襲われることなく興奮しっぱなしでした。
しかも隣に座ってたアルゼンチン人のおばあちゃんと仲良くなったし飴もらったし。
途中外の山を撮ろうとケータイを構えてたら、「¡Ahora!(今よ!)」とタイミングを指示してきてウケました。
ボリビアからチリに入るときには厳重な荷物チェックがあったのですが、チリからアルゼンチンに入るときには、マジかよっていうぐらい何もチェックなしの検問でした。
一応検査エリアみたいなとこに荷物を持って並ばされるのですが、荷物に指一本触れることなく終了。バスから荷物持ってきた意味…( ˊ̱˂˃ˋ̱ )
さてメンドーサには2つ有名なものがあります。
1つはアコンカグアという南米一高い山。南米一と言いつつ、ヒマラヤ以外では世界で一番高い山になります。てかヒマラヤに高い山が集まり過ぎ。
本格的な登山以外にも、麓の軽いトレッキングや、冬にはスキーリゾートとしても賑わうらしいです。
アコンカグアチラッ。
2つ目はワイン。
アルゼンチンワインが有名なのは言わずもがなですが、実は日本に輸出されているアルゼンチン産ワインの9割以上はここメンドーサで生産されたものらしいです。
それぐらいワインの産地として有名なメンドーサ。
そりゃあもちろん呑みまくりました。
ぶっちゃけメンドーサ滞在中、毎日一人でボトル一本空けてました。
そしてアルゼンチンでもう一つ有名なのが、牛肉。
有名なのが牛肉に赤ワイン、とくれば当然ディナーは…
あざーっす!
メルカドで肉買ってきて毎晩ステーキ三昧ざます。ざました。
この写真は赤ワインではなくリンゴとマスカットのスパークリングワイン的なやつで、200円ぐらいで超うまい。
ステーキ、うめぇ。肉、ウメェ。
オレ、ニク、タベル、シアワセ。
I.Q16の口調になるのも無理はありません。
広大なワイン用ブドウ畑。日本の葡萄畑とだいぶ違う。
実は日本を出る前にはアコンカグアに登ってやる気満々だったのですが、登山料の高さと約2週間分の食料を持って登らなければならないという情報を旅の途中で聞き、アメリカのJMTでの悪夢を思い出したヘタレな僕はアコンカグア登頂を早々に諦めていたのですた。
そしてメンドーサに行くまでは、「3日間のパーミットを取って、サクッと麓のトレッキングを2泊3日で…」と目論んでいたのですが、現地のオフィスに行くと3日間トレッキングするためのパーミットがなんとUS180ドル!
当時のレートで約2万円!!!!!
しかもメンドーサの街から登山口まではバスで2時間かかるので、2万円プラス往復のバス代が最低でもかかる!
バッカじゃねぇのアルゼンチン!!
と軽くキレ気味でソッコー辞めました。
その後パタゴニアでもアルゼンチンに再入国することになるのですが、この国はほんっとに物価が高い上に観光客から金を巻き上げるのなんの!
バスに乗り降りする時に、荷物を預けたり降ろしたりするだけでチップ(と言っても任意ではなく必ず払わされる)を要求してくる始末。
いままで経済的にもっと貧しい国ですらそんなことでチップを要求したりしなかったのに。アルゼンチン、正直あんまり好きになれません。
物価も雰囲気もここはヨーロッパか?行ったことないけど。
というわけで、アコンカグアトレッキングを辞めた僕は、メンドーサでやることが一切なくなってしまいました。
まぁバスに乗って日帰りでどこかに行ったり、他の旅人がやっているようなワイナリー巡りをしたりという選択肢もあるにはあったのですが、いかんせん値段が高い。
他の物価の低い国で値切ってる旅人が、こんな物価の高い国でワイナリーツアーとか氷河トレッキングとか行ってたのかよと思うと、正直「なんだかなぁ」と思ってしまいます。
そんな金あんのにたかだか数百円数十円を値切るのか…。
そんなわけで、毎日宿の近くにあった一周10kmぐらいある馬鹿でかい運動公園(中にスタジアムやキャンプ場、動物園まである)を走ったり、街をぶらぶらしたり、日本に帰ったら食べたいものを妄想したりしてのんびり過ごしていました。
公園内にある山からの眺め。空の青さやばし。
山頂にあるFFに出てきそうな像。
カリスマイントラ?による屋外ラテン系エクササイズ。
さてさて今回のブログは薄ーい内容となっておりますが、ご了承ぐたさい。
ちなみに再度チリに入国するときも、ボリビアから入る時よりかなりあっさり済みました。
通る場所によってこんなにも対応が違うんですね。
エルカラファテからプエルトナタレスに入るときはさらにあっさりで、空港みたいに手荷物をX線ベルトに流して、その間に預け荷物は麻薬犬がクンクンして終わり。
ボリビアの信頼度が低いのか?
次回は再びチリへ、そして、モアイ像で有名な「悲劇の島」イースター島へ。
乞う、ご期待。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜チリ編①〜
Hey guys!!
パイネトレッキングを終えてからというもの、毎日のように肉を買ってきてステーキを喰らっております。チリ、そしてアルゼンチンと言えば牛肉とワインだろ!ということでベジタリアン経験がある人間とは思えないほど動物を喰どーも僕です。
最高に楽しかったけどトレッキング中はずっと肉を食べたいと思っていた。
さて今回からはチリ編ですが、チリ編にはイースター島もパタゴニアも含まれる為、なかなかのボリュームになりそうです。パタゴニアだけでもブログ記事4回分ぐらいかかりそうだからね。
まずは最初の街カラマと、星空&月の谷で有名な街サンペドロ・デ・アタカマ(以下サンペドロ)から。
ウユニからバスでチリに入国した僕とMさる君。
ボリビアからチリへの入国審査は噂通りの厳しいもので、ザックの中の物を半分以上出され、果物や植物の種を持っていないか、厳重なチェックを受けました。
でも実は申告対象になっているハチミツはバレなかったんですけど。
砂漠のど真ん中に国境。他の国と違い、出国と入国の手続きの場所がだいぶ離れていた。
カラマという街は大きいながらもアタカマ砂漠の中にあることを感じさせる色合いや雰囲気で、風が吹くと砂埃が舞います。
とりあえず僕らはメルカドの食堂で、チリ最初のご飯を食べることに。
Mさる君はチキンで僕は魚のフリッターみたいのを頼んだのですが、これがかなり美味しくチリの魚料理に期待が持てるスタートとなりました。
Mさる君はサンペドロには行かず、カラマからヒッチハイクで南下するとのことで、ここでお別れ。
僕はそのまま夕方発のバスでアタカマに向かいました。
ちなみに車内温度40℃でエアコンなし。
他の乗客が何度も運転手に文句を言いに行ってましたが最後までエアコンがつくことはなく。
よく問題になってねぇなあのバス会社。
サンペドロは不思議な街で、とても小さくて埃っぽく、建物もほぼ土でできているのですが、土壁の店の中は高級ジュエリーショップだったり、ブランド物のアパレルショップだったりと、とても人工的なお洒落感が漂っています。
(そんなわけで今回記事の写真は全体的に茶色く仕上がっています。)
その中でも僕が2泊したキャンプ場は、リャマや羊を買っていたりとうもろこし畑のすぐ横にテント場があったりと、とても居心地の良い場所でした。
オーナー?のおばちゃんもめっちゃ良い人だったし。
ちゃんと屋根もあって快適なキャンプ場兼ホステル。
畑の横で朝陽を浴びながらカラマのメルカドで買っていったチェリー、オレンジ、桃をいただく。贅沢な時間。
サンペドロには月の谷と死の谷という場所があり、通常はツアーで行くのが一般的らしいのですが、僕は自転車をレンタルして炎天下に合計40kmぐらい漕いでその2つをまわりました。
自転車の方が安いし、車だと飛ばしちゃう隠れビューポイントも見れますからね。
そしてトレーニングにもなるし。
最初に行った月の谷を上から見下ろすポイント。白い部分はもちろん雪、ではなく全て塩。
死の谷。
月の谷内部。ビューポイントがたくさんある。
ウユニは塩湖でここは塩山?
まぁ正直暑いし道はガタガタだしチェーンはしょっちゅう外れるしでなかなかハードでしたが、その分他の人が行かないような場所に行くことができました。
確実に誰も行ってないようなちょっと危ないポイントまで行って、絶景を独り占めしたときは若干テンションが上がった自分を写真に収めておきました。
着地点のすぐ向こうがそこそこの崖になっているのでビビり気味でジャンプが低い。
よく見ると岩ではなく塩の結晶でできている。
時々「バキッ」とどこかでひび割れる音がする。
さて肝心の「世界一の星空」ですが、もうまったく気分が乗らず、夜中にテントからちょっと空を見たぐらいで、特にビューポイントまで行くようなことはしませんでした。
だって「ここで星空が綺麗に見えますよ」って場所が決まってるから、絶対人いっぱいいるし。
それよりは一人でキャンプ場でビールを飲んでる方が、この時の僕にとっては幸せだったのだからしょうがない。
サンペドロは日差しが強いせいか、子供が遊ぶ遊具や、街外れの歩道にちゃんと屋根が付いています。
日本もなんでもかんでも電気に頼るんじゃなくて、日陰で暑さを凌ぐ仕組みをもう少し増やしてもいいのになぁと思います。
あっという間でしたがなかなか充実した2日間を過ごしたサンペドロデアタカマを後にし、そのままチリの首都サンティアゴまで22時間のバス移動。
そしてさらにそのままバスでアンデス山脈を越え、アルゼンチンのメンドーサという街まで約8時間のバス移動。
というわけで、チリ編が始まったばかりですが、次回は時系列的に一度アルゼンチン編に突入します。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜ボリビア編②〜
Hey guys!!
昨日までパタゴニア観光の核心であり、世界有数の人気トレイルでもあるパイネサーキット(サーキットO)を6泊7日で歩いてきたのですが、はっきり言って最高過どーも僕です。
さてウユニです。
ラパスからのバスがウユニに着いたとき、早朝だったため宿にチェックインできず、ロビーで待つことに。
しばらく時間を潰していると、見覚えのある顔が宿に入ってきてスタッフに何かを言っている…。
Mさる君だ。
ボゴタでもクスコでもラパスでも会ったMさる君が、僕の宿に泊まっている他の日本人の知り合いと会うために現れた。
ラパスでのSのぶ姉さんに続き、またもやなんという偶然。
結局このあとウユニを出てチリに入るまで、僕らは行動を共にすることに。
Mさる君。ちなみにこれはチリのプコンにて。
まずウユニでは、Mさる君と以前会ったことのあるというK子ちゃん、僕と同い年のRょうさん、新婚ホヤホヤなのに一人で旅してるAやこちゃんと合流。皆一人旅。
流れで「列車の墓場&塩湖&インカワシ島デイツアー」に行くことに。
日本人経営の有名なツアー会社「HODAKA」ではなく、地元の小さなツアー会社でK子ちゃんが申し込んでくれた。
僕ら5人を乗せた車に、一人の日本人が合流。
Tける君という大学生一人旅。
これでそれぞれ一人旅の日本人6人グループの出来上がり。
みんな一人でいろんな国を旅しているということもあって、短期旅行者グループみたいにやたらとワイワイした浮かれた雰囲気にならなくて良かった。
良いメンバーに恵まれました。本当に。
良きメンバーでした。
まずはウユニの街からほど近い、列車の墓場へ。
列車の墓場って良いように言ってるけど、要はただ不要になった巨大なゴミを放置しているだけでしょ、と思ったけど、空気を読んでそこは何も言わず。
僕だって空気は読めるんですよ。一応ね。
続いては360°一面塩の場所で、定番のトリック写真とか全員で無意味にダッシュしたりとか。
ちなみに無意味なダッシュで若干1名(大学生のTける)が盛大に転び、ガリガリの塩の大地で手の平やら肘やら膝を思いっきり擦りむいてました。
なので写真に登場するTけるは戦場カメラマンごたる、包帯を巻いた状態でカメラを構えています。
日本人には水が張って鏡張りになったウユニ塩湖が人気ですが、僕はけっこうこの真っ白の大地が好きかも。
水に映った空とか見ても、「で?」って思っちゃうけど、どこまでも続く白い大地は「どこまでも走って行きたい!」とちょっとワクワクするんですよね。
まぁ満天の星空が鏡張りに映ると自分が宇宙に浮いてるみたいになってそれはそれで感動するんだろうなぁと思いますが、残念ながら今回それは叶わず。
僕はどこまでも続く真っ白の大地が好き。
どこかのブロガーさんが、「ウユニには雨季じゃなくても年中鏡張りが見れる場所がある。社会人はネット情報に騙されずに、会社が休める時期に行けばよろし!」なんて、大発見でもしたかのように書いてましたが、いやいや、やっぱ雨季じゃないと一面鏡張りは見れないから。
行って分かりましたけど、多くの人が鏡張り写真をブログやSNSにあげてるのは、写真に写る部分だけ鏡張りになっているだけで、辺りが全部鏡張りになってるわけじゃないんですよね。
オーロラと同じでカメラのマジックというか。
まぁ僕はもともとウユニをそこまで楽しみにしていたわけじゃないので別にがっかりもしなかったですが。
ごく一部にしか水が張ってなくても撮りようによってはこのように鏡張りに見える。
塩の大地の次は塩のレストランでランチ。
ここでは特筆すべきことは何もなかったですが、レストランの外の国旗エリアでなかなか良い写真が撮れました。
ランチの後はインカワシ島という、塩湖の中にある小高い丘的な場所へ。
サボテンがニョキニョキ生えてて、少しだけ異世界感はありましたが、丘に登るのにそこそこの入場料がかかるということで、僕らのグループは誰も登らず日陰で休憩。
この後はサンセットまでけっこう時間があったので、鏡張りが若干見れる場所まで移動し、各々色んな写真を撮りまくり。
懐かしのかめはめ波ごっことかしましたが、よく考えればこれは別にウユニ塩湖でやる意味はないですね。
ギニュー特戦隊風。撮った後に左足を伸ばせばよかったと少し後悔。ウユニじゃなくてもできる。
アーティストのCDジャケ風。これもまぁウユニじゃなくてもできる。
戦場カメラマンTける。
なかなか綺麗なサンセットが見れましたが、ここでも僕の天邪鬼な性格が…。
基本的に僕は日の出とか日没とか、あんまりどこで見ても変わらない気がするんですよねぇ。
どこで見るかよりも、どんな空かの方が僕にとっては重要で、たとえ街から見る夕陽でも、空が真っ赤に染まってる時はしばらく見入ってしまったりします。
その日の夜、ツアーに行ったメンバーでリャマ肉を食べに行ったのですが、超絶美味そうな見た目に反してめちゃくちゃ固く、みんなずっと噛み切れずにくちゃくちゃやってました。
アルパカはあんなに美味しいのに、見た目がほぼ同じなリャマとの違いは何なのだ?
見た目は美味そうなんだけど。
メルカド食堂で食べた牛肉とひよこ豆とチョクロのスープ。薄味だったけどこちらの肉はかなり柔らかく、美味。
翌日、Mさる君とAやこちゃんの3人で、昼間から公園で飲もうという話になぜかなり、スーパーへ買い出しに。
ここでMさる君が、「強い酒いきません?」と言いだし、ウォッカ的なボリビアのお酒を一本購入。
これが飲みやすいんだけどかなり強くて、僕とMさる君は昼間の公園で記憶を失うほどベロベロに笑
このとき酔って色々語った恥ずかしい様子は、Aやこちゃんがばっちり動画に収めてました。
昼から地べたで酒を喰らう。
翌日の早朝(AM3時集合)にはMさる君とAやこちゃんの3人で、星空&サンライズツアーに参加。
全員二日酔い。
なかなか綺麗な星空が見れました。
良いカメラを持ってたAやこちゃんにもらった写真。僕は見るだけの係。
僕より少し前にウユニに来た友人が、「世界一星空が綺麗と言われるアタカマ砂漠よりも、ウユニの星空の方が綺麗だった」と言ってましたが、僕の中ではそのウユニですら今まで見た星空ランキングの、トップ5にも入りません。
思うんですが、「世界一〇〇」って、そもそも誰がどういう基準で決めてんのか謎だし、国際関係上世界の色々な国や地域に満遍なく「世界一」が行き渡るように気を遣って決めてるのが丸分かりだし、何よりも世界一だと思うかどうかは、その時のその人の好みとか精神状態とかに大きく左右されると思うんですよね。
なので最近僕は「世界一」って言われても全然魅力を感じません。
むしろ誰かが個人的な好みで「全然有名じゃないけどここがすごく良かった!」と目を輝かせながら語っていたら、そっちの方に魅力を感じます。
こうしてウユニで特にやること無くなったところで、Mさる君と公園で巨大な滑り台やブランコをして遊びました。
ブランコに乗っているとき、隣にいた地元の小学生ぐらいの女の子が僕らに興味深々で、言葉は無いながらもけっこう長いこと一緒に楽しく遊んでいました。
巨大滑り台。5回ぐらい滑った。
我々が伝授した「腹這いぐるぐる」を試みる全身ピンク少女。
どうでもいいけどウユニで見つけた床屋のモデルはなぜか世界のクリスティアーノ・ロナウドと、日本のやまぴー。
さてさて、ボリビア編後半はかなりのボリュームになってしまいましたが、次回からはチリ編。
ウユニからチリ最初の街カラマまで、Mさる君と一緒にバスで行くことになったので、次回はそのカラマからスタートです。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜ボリビア編①〜
Hey guys!!
先日滞在していたチリの避暑地プコン。
僕が街を出た次の日がアイアンマン70.3(トライアスロンの世界最高峰シリーズ)の開催日だったらしく、僕が出発する日も街がだいぶ盛り上がっていました。
実は僕もトライアスリートだった時代がありまして、こんな自然豊かな場所でレースができるならまたトライアスロンも再開したいなぁと、メラメラとアスリート魂がどーも僕です。
まぁお金かかりますけどね、トライアスロンは。
有名選手らしく、サイン会には長蛇の列ができていた。
全6回に及ぶペルー編が終わり、日本人が大好きなウユニ塩湖のあるボリビア編です。
クスコから国境を越え、ボリビアの首都ラパスへ。
事前情報では首締め強盗なる恐ろしい輩がいるとの噂を聞いていたので、人通りの少ない場所では細心の注意を払いながら街を散策しました。
※首締め強盗とは、歩いている人の後ろからチョークスリーパーで首を締め落とし、気絶したところで金品を奪って逃げるという無茶苦茶な強盗。
バス会社こそ違いましたがクスコで会ったMさる君とラパスでも合流し、晩ご飯を食べに行くことに。
すると、この日たまたま何かのお祭りだったらしく、街全体が物凄い盛り上がり。
とりあえず2人でブラブラ歩いていると、かなり規模の大きな屋台村みたいなのができていて、そこでボリビア初の食べ歩きをすることに。
何故かこのゲームが大人気。
牛タン串焼きめっちゃ美味い。でも食べるときは串から外してお皿に盛られる。
これまためっちゃうまいフルーツカクテル。これで確か30円ぐらいだった気がする。2杯食べた。
なぜか大画面テレビでディズニー映画を流している店が多かった。回転率下がらないのかな?
ビールが売ってなかったので、2人でラパスの地ワインを買って牛タン2回戦へ。
南米ではペルーが美食の国と言われていて、ペルーからボリビアに行くと食べ物の不味さにがっかりする、という噂を聞いたことがありましたが、少なくとも僕らが食べた物はめちゃくちゃ美味しく、どれも安かったです。
ただ唯一、チチカカ湖で獲れたであろう魚のフライ(トルーチャというらしい)を食べたときは、あまりの泥臭さに2人で愕然としました。
お腹パンパンで屋台村を出た後、大通りへ出てみると大規模なパレードの真っ最中!
まぁ正直クオリティとか著作権的なものとかは微妙でしたが、電飾を施したトラックやダンス集団などが次から次へと通り過ぎていく様は、なかなかテンションが上がるものでした。
もんのすごい人。渋谷のハロウィンみたい。行ったことないけど。
でもしっかりスリには気をつけていましたけどね。言うても日本じゃないんで。
ひとしきり祭を楽しんだ後、「似たような旅のルートだからまたどこかで会うかもねー」とMさる君と別れました。またすぐに会うことになるんですけどね。
翌日は6,088mのワイナポトシ登山ツアーへ。
1泊2日で初日からいきなり5,200mの山小屋を目指すパターンか、2泊3日で初日は高度順応+アイスクライミング体験ができるパターンを選べるのですが、僕はビビりなので後者を選び、初日は氷河でアイスアックスのレクチャーと、アイスクライミング体験を行いました。
ツアー会社の車がまさかの目白のお下がり笑
アイスクライミング講習。登っているのはガイド。
今まで軽アイゼンしか使ったことがなかったので、本格的な雪山装備はこれが初めて。
垂直な氷の壁を登るアイスクライミングは思いの外難しく、5〜6m登るのにかなり握力をもっていかれました。
ちなみにツアーはガイド1人+客2人の3人ワンパック。
僕のパートナーは、アメリカ生まれ、現在ハワイ在住、スペイン語ペラペラで耳と鼻にピアス10個ぐらい付けてるテンション高めのクリスティーナちゃん。
登山経験はほぼゼロで、ペルーで僕も行ったレインボーマウンテン(標高約5,000m)が人生最高の高さとのこと。
実を言うと最初は「自分がダメならこの子も無理だろうな」と思っていたのですが、結果的にはこの子だけが登頂しちゃって、やっぱ外国人の女性はタフだなと思いました。
序盤、さすがに標高が高いので僕も彼女もゼーゼー言いながら単調な登山道を登って行きました。
この時はかなり良いペースで、予定よりもだいぶ早くこの日宿泊する山小屋に到着しました。
この時点では僕の身体は何の問題もなく、なんならビール持ってくりゃ良かった、ぐらいの余裕がありました。
重い。
標高5,100mの山小屋までずっと付いてきた犬。すげー。
翌朝、というか深夜12時に起きて、山頂で朝日を見る予定で真っ暗闇の中出発。
出発直後からお腹の調子がおかしく、良くないと思いつつも我慢できず途中2回ほど野◯◯。
この時はただお腹の中が空っぽになれば治ると思ってましたが、雪道に入る手前でアイゼン、ハーネスを装着しているところで体調が悪化。
急いでハーネスを外し、2人から少し離れてリバース&野◯◯。
ガイドは「ゆっくり行く」「こまめに休憩とる」と言ってなんとか僕を登らせようとしましたが、「2人に迷惑かけるから」と言って僕だけ山小屋に戻ることにしました。
山小屋に戻ったあとも、1時間おきに起きてはトイレに駆け込む、を繰り返して正直地獄でした。
しかもトイレに行くには一度山小屋から外に出なくてはいけないのですが、トイレに行くまでの15mほどの岩道が凍ってツルツル滑り、出るのを我慢しながら慎重に歩かなくてはいけなかったのでかなり辛かったです。
星はめっちゃ綺麗だったけど。
朝方、ガイドとクリスティーナが登頂後山小屋に戻ってきましたが、「やったよ!」的な元気なクリスティーナを予想していたら、本当にしんどかったらしく、テンション激低で朝ごはんのスープも飲まず、死んでいました。
無理しないで良かった…。
てかできなかったけど。
今回の旅で何度か思ったけど、僕にはやっぱり重い荷物を背負って山頂を目指す登山は向いてないなと思いました。
まぁ慣れてないだけかもしれないけど、あんまり楽しいと思えないんですよね。
やっぱり僕は山頂とか別に立たなくてもいいから、鹿のように山の中を駆け回りたい。
ただそれも、実際この旅で本格的な登山をやってみて初めて分かったことなので、なんでも実際やってみないとですね。
でもテント担いで行って山でキャンプしてご飯作ってとかは楽しいので、日本に帰ってからもたまにはそういう登山を続けたいと思います。
トレイルランナーも重いザックを背負った登山者の気持ちを理解しないといけないと思うし。
少し話が逸れましたが、次の目的地ウユニへ向かう前にラパスでは最後びっくりな偶然がありました。
グアテマラで3週間共にスペイン語を勉強し、ペルーのワラスでも再開したSのぶ姉さんと、ラパスのバスターミナルでまさかの遭遇!
クスコの時のMさる君と違って、姉さんがボリビアに来ていることすら知らなかったので、お互いめちゃくちゃビックリして姉さんは僕を2度見してました。
しかも会った場所が待合スペースとかじゃなく、ターミナルの奥にある荷物預かり所の前だったのでマジでどんな確率だよっていうね。
世界は狭いですねー。
いつどこで会ってもビールを飲んでいる大阪弁のSのぶ姉さん。
僕はこの日の夜出発のバスに乗る予定で時間があったので、再開を祝して一緒にご飯を食べることにしたのですが、この日のワイナポトシから降りてきたばかりの僕は絶賛高山病中で、唯一お店で口にしたピーチジュースすら20分後にはトイレへリバースしてました。
ちなみにSのぶ姉さんとも、この後チリでまた会うことになります。
また、僕は行かなかったのですが、ラパスでは「おばちゃんプロレス」という名物イベントが毎週日曜に開催されているらしく、民族衣装を着たおばちゃん同士が戦うというなんともシュールな催し物らしいです。
実際に見たMさる君に後日おばちゃんプロレスの感想を聞いたのですが、プロレスとしてのクオリティもおばちゃんだったそうです。
さてさて、次回は早くもボリビア編後半、ウユニの回。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜ペルー編⑥〜
Hey guys!!
日本へ帰る日が近づいているということで帰ってからのことをあれこれと考える最近ですが、帰って山梨に住んだら買いたい動物がいまして、なにかというと豚です。
海外の田舎の方とかに行くと普通に豚を飼っている家をよく目にするのですが、豚って危なくないし可愛いし、何より大きくなったら食えるどーも僕です。
さてさて長かったペルー編も、ついにというかやっとというか、最終回です。
まずはクスコを訪れる旅行者にとっては有名なレインボーマウンテンへ行った話。
実は行く前から色々ありまして、申し込んだツアー会社の人間が約束の場所に約束の時間に来なくて日程が変更になったり、レインボーマウンテンに向かう途中で僕の乗った車が馬鹿デカい野良犬を轢いて、車が壊れるというアクシデントがありましたが、とにかくレインボーマウンテンのトレッキング道まで無事にたどり着くことができました。
野良犬と衝突して壊れた車。ちなみに犬はなんと生きてた。
移動途中に車から見た山々や、アルパカの大群はなかなかの絶景でした。
ただガードレールも何もない崖っぷちの荒れた道を運転手が飛ばすもんでなかなか怖かったですが。
小さい米粒みたいのが全部アルパカ。こんな景色が30分ぐらい続いた。
レインボーマウンテンは標高こそ約5,000mとかなりの高さですが、トレッキングのスタート地点がすでにかなり高いので、登山というよりはハイキングという感じでした。
富士山みたいに人いっぱいいたし。
そんな道なので、気持ち良くトレイルランニングを堪能。
通常2時間ぐらいかけて登るルートらしいですが、僕は30分ほどでレインボーマウンテンへ到着。
レインボーマウンテン。土中に含まれるミネラルの種類によって色の違いが出るらしい。
曇っていたせいもありますが、レインボーマウンテン自体よりも、その周りの山々の景色の方が素晴らしくて、僕だけ他の人と違う場所の写真を撮りまくってました。
多くの観光客はレインボーマウンテンまで行ったら引き返すのですが、僕は時間にも体力にも余裕があったので、さらに先のトレイルを行くことに。
そこにはレッドバレーと呼ばれる場所があり、個人的にはレインボーマウンテンよりレッドバレーの方が全然良かったです。
本物は物凄い別世界感。180°以上こんな景色。
HDR(ハイダイナミックレンジ)的風景。
写真だとわかりずらいけどかなり変わった形状の花を発見した。
ちなみにレッドバレーのビューポイントの手前には人がいて、本来なら5ソル払わないといけないらしいのですが、僕が「今お金ないからここで引き返すよ」と言ってその場で写真を撮っていると、「特別にタダでいいぞ。他の人には内緒だからな」的なことを言われてタダで入ることができました。
おっちゃん良い人。
でも他の人はちゃんとお金払ってくださいね。
レインボーマウンテンからの帰り道は最高に走りやすい緩やかな下りだったので、久しぶりにぶっ飛ばして駆け下りました。
ダイナミックな地層のうねりに萌える。
クスコ最終日は、ラパス行きのバスの出発時間が夜の10時だったため、日中は近くのピサックという小さな村へ。
ここは「聖なる谷」と呼ばれる場所のひとつらしく、なんかドラクエに出てきそうな名前という理由で行ってみることに。
ピサックはとてもとても小さな村でしたが、意外とツーリスティックというか、伝統文化が残りつつも外国人観光客が好きそうなお洒落なお店などが多くありました。
当然僕はそんな店に興味はないので、ランチは地元の人で賑わうメルカド内の食堂で。
おっちゃんが食べてたやつがめちゃくちゃ美味そうだったので、それ何?と聞いて同じものを頼みました。
4ソル(約140円)のランチプレート。
ペルーのメルカド食堂は安くて美味しいものばかり。
ピサックには少し山を登ったところに遺跡があるのですが、入場料が70ソル(約2,450円)というクソ高い値段だったので行くのをやめました。
以前からブログでも書いている通り、基本的には僕はケチるのが嫌いで、その国や地域に貢献するつもりで多少のお金は値切らず払うのですが、クスコ周辺の観光施設はちょっと調子に乗りすぎてるレベルで値段が高いので、この場合は「高くし過ぎるとお客さんが減ってかえって収益が減る」という当たり前の法則を分からせるために遺跡見学を見送りました。
良いとこですけどね、ピサック。
ベビーアルパカのニット帽がかなり気に入って自分用に買おうかと思ったのですが、試着したところ絶望的に似合わず諦めました。
ニット帽、ほんと似合わないんですよねぇ…。
クスコに戻り、バスターミナルへ行くとまたもやMさる君を発見。
同じ日の同じ時間のラパス行きバスに乗ることは知っていましたが、またもや連絡なしでばったり遭遇。
ここで一つ失敗談があり、日本では馴染みがないですが、海外では長距離バスが多く、バスターミナルでも空港利用税みたいな税金を払う必要があることが多々あります。チケット代に入れといてくれればいいのにね。
そのことをすっかり忘れていた僕は、ペルーのお金を使い切ってしまっていて、税金を払うことができなくなってしまい、10歳年下のMさる君に約30円を恵んでもらうことに。
まぁMさる君がいなかったら最悪その辺のペルー人に恵んでもらっていたと思いますが、持つべきものは友ですね。
そんなこんなで約1ヶ月滞在したペルーに別れを告げ、この旅8ヶ国目となるボリビアへ。
次回はラパスのお祭りと、標高6,088mの山ワイナポトシに挑戦した話。
それではまた!
See you soon!!
旅ブログ〜ペルー編⑤〜
Hey guys!!
さっき気づいたんですが、前回ブログをアップしたとき、本来ならペルー編「④」のはずなのに「③」になってましたね。
3の時だけアホになる世界のナベアツだったら2回続けてどーも僕です。
というわけで今回はマチュピチュ編です。
前回のブログでも書いた通り、僕はインカトレイルを歩くツアーに参加して、かつて栄えたインカ帝国の人々が使っていた道を歩いてきました。
トレッキング中にちょくちょく現れるかつての生活の名残り。
雄大な山々の中を歩く。
テンション上がる景色。
3日目の夕方、一人インカトレイルランニングを楽しんだ。
マチュピチュに着く前日、最後のディナーのとき、この日が誕生日だったアメリカ人のクリスの為にバースデーケーキが出てきたときは驚きました。
まさか山の中で作ったのか?
そして最終日、3時起床。
最終キャンプ地からいよいよマチュピチュを目指します。
ここまでずっと晴れていた天気も、最終日に来てまさかの雨。
しかしマチュピチュは霧の都とも言われる天空都市なので、逆に幻想的な景色が見られるかも、とプラスに考えて期待を膨らませました。
その結果…
晴れてもうたー!
そんなに晴れなくても良かったんですけどね。
でもこの後結局雨は降ったり止んだりで、遺跡からバスでマチュピチュ村に降りたときには道が川になるほどの土砂降りでした。
ちなみに上の写真はマチュピチュの撮影ポイントとしては定番ですが、他の旅人がよく「アルパカと一緒に写真撮った」と言っているのは実はアルパカではなくリャマです。
クスコの街にアルパカニット製品が売っているので混同しているようですが、マチュピチュにいるのはリャマです。
ちなみにクスコではアルパカの肉が食べられますが、ボリビアのレストランで見かけるのはなぜかリャマ肉です。
なんで逆はないのかな?
崖に作られた、今はインカブリッジと呼ばれるトレイル。高所恐怖症の人には地獄の道だ。
マチュピチュを案内してくれるガイドさんの説明が全て英語だったので、100%理解できたわけではありませんが、マチュピチュはインカの歴史や文化を知った方が遥かに楽しめるので、マチュピチュにガイドなしで行った人はけっこうもったいないなぁと思います。
マチュピチュ遺跡にはまだ謎に包まれた部分もあるらしいのですが、石を正確に削ってパズルのように組み合わせてある技術は、目を見張るものがありました。
また、今回僕はマチュピチュ山にも登りました。
マチュピチュ遺跡にすぐ近くには、ワイナピチュ山とマチュピチュ山があり、よくテレビとかで芸能人が登ってガイドのおじさんに、
「見てごらん?マチュピチュ遺跡全体がコンドルの形をしているだろう?」
と説明されているのがワイナピチュ山、テレビではほとんど紹介されていないワイナピチュよりさらに高い山がマチュピチュ山。
僕はワイナピチュに申し込んだつもりが手違いでマチュピチュ山の許可証を取っていたらしく、マチュピチュ山に登りました。
向こうに見えるのがワイナピチュ。高さが全然違うのが分かる。
ワイナピチュ山もマチュピチュ山も、やはり事前に許可証を取得しておく必要があり、これはインカトレイルよりは簡単に取得できるようですが、やはり当日現地での申し込みはできないらしいので、これらの山に登りたい方は必ず事前に申請しておきましょう。
こちらも他人への譲渡は不可なので、カップルとかでマチュピチュに行って一人だけ許可証取り忘れてたりなんかしたら最悪です。
マチュピチュを一通り堪能した後は、今回のツアーの打ち上げをしにマチュピチュ村へ。
最初みんなビールの中瓶を頼んでいたのですが、僕が一人大瓶を頼んだのを皮切りに、場は無法地帯に。
シェーンが次々に大瓶を追加注文し、気付けば酒を飲んでいた4人で10リットル以上ビールを飲んでいました。
クスコのビール、クスケーニャの1リットル瓶。
マチュピチュ村。どこか日本の温泉街に似てる。
途中からみんな酔っておかしくなってきて、フランス人ママが口癖のOhlalah!を言うとみんなも真似してオーララー!と叫んで何故か爆笑。
その後優雅にインカレイル鉄道に乗り、途中でツアー会社のバスに乗り換え、4日ぶりにクスコの街へと帰りました。
クスコに帰った翌日、街を歩いているとなんとコロンビアの宿で一緒だったMさる君が目の前を歩いている!
クスコに来ていることは知っていたのですが、まさか街でばったり出会うとは。
この後Mさる君とは縁があり色々な場所で行動を共にすることになるのですが、この時はまだ知る由もなく。
アルパカの子供 with Mさる君。
授乳フェチ。アルパカの授乳もばっちり激写。てか子供デカくね?
クスコにあるインカ博物館。ヨーロッパと比較するとインカ帝国のデカさが分かる。
博物館には本物のミイラが展示されている。
「コカの葉は俺たちのソウルフードだぜ」の図。
さてさてこの後はレインボーマウンテンという山と聖なる谷と呼ばれる所に行ったのですが、それはまた次の話。
それではまた!
See you soon!!